『弥勒』の
イラストブックレビューです。
ヒマラヤの奥地にあり、インドや中国などとの国境も近いことと、険しい山の奥地であることから独自の文化を発展させてきたパスキム。美しい細工を施された仏像などの美術品は持ち出しが禁止となっています。しかし、その一部が妻の髪飾りに使われていることに気付きます。
パスキムで政変があったことを知り、密入国を試みた永岡が見たものは僧侶の死体の山や破壊された美術品たちでした。お堂に閉じ込められていた絶命寸前の尼僧から、ラクパ・ゲルツィンによるクーデターが起こり、僧侶が皆殺しにあったことを知ります。永岡は寺院にあった弥勒像を奪い、逃げますが革命軍に捕まってしまいます。
連れていかれたキャンプでは、日中は強制労働を行い、食事の後は「教育」が施されます。かつてパスキムの王に仕えていた秘書官だったラクパ・ゲルツィンは、パスキムの中でも豊かな地域と貧しい地域の差が激しく、そのことを憂い、皆が同じように平等に生きていける世界を築こうとしていたのでした。
人に名前はいらない。体力に応じて仕事をこなす。
神は存在しない。迷信なども嘘である。
民主主義の対極とも言える、極端な方針でキャンプを運営していきます。個人の存在も
否定され、貧しい食事と厳しい環境に抵抗を覚えていた永岡ですが、やがて自らが耕した地に蕎麦の実がなり、わずかながらの作物が収穫できるようになったり、周囲の者たちとコミュニケーションが取れるようになってくると、少しずつ気持ちに変化が生まれてきます。そして、強制的にあてがわれた女と夫婦になりますが、彼女と会話を交わし、体を重ねていくうちに、彼女のことが大切な存在となっていったのです。
文明は人を怠惰にし、狂わせる。
こうした考えを持ち、同時に統一した考えや行動の邪魔になるとして神仏の存在も否定してきたゲルツェンですが、民衆たちをどんなに育しても、死者を悼む気持ちや霊的存在、神の存在を人々の中から消し去ることができません。そして彼が排除した『文明』は近代医療の薬品等も含まれるために、病気やけがなどで多くの命が失われていきます。そして、死を迎え見守る際にはどの人間も同じように神に祈るのです。
神とは人間にとっての、目に見えない土台のようなものなのかもしれません。
祈ることによりその形が明らかになり、同様に自分の姿がも見えてくる。死の淵に立ち、神と向き合うことは、ふだん意識することのない自分自身と向き合い、対話することなのではないでしょうか。
ハイスピードで進められた改革は歪みを生み、叛逆を企てたものたちが処刑されたり、
厳しい作業環境や伝染病が蔓延する中で、何度も永岡は死の淵に立ちます。日本においては神の存在など気にもしなかった永岡ですが、パスキムを脱出し、弥勒像を奪い返した後、その存在は彼自身の奥深くを呼応させるように響いてくるのです。生きているのが不思議な状況の中では、神によって生かされているとしか思えません。
神とは、祈りとは、豊かさとは、命とは。
それまで持っていたあらゆる価値観を粉々に打ち砕かれ、再構築されていく。そんな風に感じる物語です。