ぬこのイラストブックれびゅう

ぬこのイラストブックれびゅう

雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

世界的な感染症が起こった時の「もうひとつの日本」の姿

首都感染

イラストブックレビューです。

 

首都感染 (講談社文庫)

首都感染 (講談社文庫)

 

 

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あらすじ

中国でサッカーワールドカップが開催。世界中が湧き上がる中、中国のある地域で致死率60%という強毒性のインフルエンザが発生した。中国側が発表を引き伸ばそうとする中、都内の内科医である瀬戸崎優司は、いち早くその情報を掴む。元WHO職員で、感染症対策のプロフェッショナルであるという経歴から内閣の新型インフルエンザ対策本部のメンバーとして呼び寄せられた彼は、人類の今後を左右する感染症を止めることができるのか。

医師・優司が抱く過去と現在の姿


元WHO職員の優司は、勤務していた頃5歳の娘をインフルエンザ脳症で亡くしました。第二子を妊娠中だった妻は流産し、二人の子供を一度に失くしてしまった夫婦の仲は修復できないほどに壊れてしまいました。

離婚し日本に戻った優司は、友人の紹介で病院の内科医に勤務。アルコールか睡眠薬がないと眠れない日が続き、アルコール依存症寸前の状態です。しかし、WHOでの感染症対策の経験を活かし、感染症に対する病院の対応をマニュアル化、医師や看護師などのスタッフへの教育などを徹底して行い、病院内でも評価を得ていました。

一度流行したインフルエンザは弱毒性のものだったが

世を騒がさせた新型インフルエンザは、豚型であり、毒性も弱く、死亡率も通常の季節性インフルエンザと同等のものでした。国の対応などはむしろ大袈裟すぎたのでは、という世間の空気もあります。そんな中、中国で不穏な動きがあることを優司は知ります。

中国で危険なウィルスが発生

WHOに勤めている元妻に電話してみるも、中国側からの公式発表がないため、WHOとしてもどうすることもできないのだと言います。ただ、豚型ではなく、鳥型が変異した新型インフルエンザが中国の村で発生していること。数千人規模の死亡者が出ており、いくつかの村は壊滅。軍隊などにより、村から人が出入りしないよう制圧をかけているらしい、ということがわかります。

国内での感染対策を開始

元妻の父親、厚生労働大臣である高城から、新型インフルエンザの対策室メンバーとして参加してくれないかとの要望を受けます。引き受けた優司がまず最初に行ったのは、中国からの帰国便の乗客を全員隔離する、ということでした。

国内外の多くの批判を受けながらも世界の中では圧倒的に低い発症者数に抑えることができますが、検疫が破られ都内にも患者が発生。そこから首都封鎖へとコマを進めていきます。

視野の狭い議員たちの意見にあ然

まずは対策会議における大臣たちのウィルスに対する認識の甘さ、経済活動がストップすることへの懸念、自分たちばかりが助かろうとする意識などが明らかになるにつれ、こんな人間たちが国の舵取りをしているのか?と頭を抱えたくなります。実際の日本もこんな感じなのだろうな、とも。

首都封鎖は何のために


感染はそのスピードを加速させ、感染者と死亡者の数は右肩上がり。それでも世界各国に比べ、日本におけるその数が圧倒的に少なく済んでいるのは、早期の感染者の隔離や例外を一切許さぬ首都封鎖のためです。それには国民それぞれの理解と忍耐が必要となってきます。

狭い視野は当然国民の中にもある


しかし、自分だけは助かりたい。自分の家族の様子が知りたい。封鎖された東京だけがなぜ犠牲にならなくてはならないのか、と声高に叫ぶ人間たちが多く出てきます。一人の例外もなく東京から出ないこと。それが日本が生き残るためにやらなくてはならないことなのです。

総理大臣の意志と決断力

瀬戸崎総理大臣は、優司の父親でもあります。彼はこの国民と議員たちの不満を一身に受け、決意を持って感染を止めることに全力を尽くします。現場の調査・対策が息子の優司、決定・指揮が総理大臣と厚生大臣の高城という形です。

この政治家たちは政治のための政治ではなく、国民を守るための政治をしていますし、優司も人の命を救うための、医者の立場から感染対策の仕組みや体制を構築していきます。どちらも命を守るという使命を持って動いているのです。

ワクチンが出来上がるまでが勝負

対応できるワクチンがいつできるのか。
ギリギリまで追い詰められた医療スタッフたちが崩壊するまでに手にすることはできるのか。

人類の未来がかかったこのウィルスを封じ込めるために、多くの人々が身を粉にして取り組んでいきます。ワクチンを開発した会社がその製造方法を惜しみなく公開するところに、私利私欲を超えた、助け合っていこうという精神が伝わり、人間もまだ捨てたものではないな、と感じます。

まとめ

この作品が10年前に世に出たことに驚きを感じます。そして、今回のコロナのような悪性のウィルスが発生する可能性があること、そして日本という国がどんな対策を取るとどうなっていくのか、ということを知るためにも、国民の教科書として本書を読んでおくといいかもしれません。というか、かえって今回の日本の対応を振り返ってガックリしてしまう部分もあるかもしれませんが…。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。



 

 

老人が指さした先にあるものとは

天上の葦

イラストブックレビューです。

 

天上の葦 上 (角川文庫)

天上の葦 上 (角川文庫)

  • 作者:太田 愛
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

 

 

天上の葦 下 (角川文庫)

天上の葦 下 (角川文庫)

  • 作者:太田 愛
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

 

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あらすじ


渋谷のスクランブル交差点で、一人の老人が空を指さした後に絶命した。
興信所を営む鑓水と修司のもとに、老人が最期に見たものは何だったのかを突き止めれば高額の報酬を払う、という依頼が舞い込む。

一方、この老人が亡くなった日に、一人の公安警察官が姿を消す。停職中の刑事・相馬は非公式にこの男の捜索命じられる。二つの事件の先には何が潜んでいるのか。

小さな興信所に舞い込む奇妙な依頼

大手興信所の下請けをしながら何とかやっている興信所の、たった二人従業員・鑓水と修司。その二人のもとに奇妙な依頼が舞い込む。それは、渋谷の交差点で天を指さし、亡くなった老人・正光が指の先に何を見ていたのかを調べてほしい、というもの。

期限は二週間、報酬は何と1000万円。しかも依頼者は鑓水たちと過去に一悶着あった相手。若い修司は反対しますが、サラッと受けてしまった鑓水に、どうやら事務所存続の危機に至るような借金があることを知ります。そして、この報酬金でその借金を返済しようとしていることも。

行方不明の公安刑事を捜索することになった相馬刑事

一方、鑓水たちと食事をしようと興信所に向かっていた停職中の刑事・相馬は、公安の前島に呼び出され、彼の部下である山波を捜すよう命じられます。公安内部でも問題になるとまずいということ、そして交通課に異動となった相馬を刑事課戻してやる、という条件に、相馬は山波を探し始めます。

亡くなった老人・正光という人物


鑓水と修司は正光の足取りや過去を調べはじめます。戦後産科医となり、長く現役として活躍していたが、数年前に引退し、施設に入居していたこと。死亡した日は外出し、どこかに向かっていた、あるいは向かった場所からの帰りだったということ。そして、どうやらテレビ局の社長に会いにいったようだ、ということを突き止めます。

行方不明の公安刑事・山波の足取り

山波の周辺や足取りを調べはじめた相馬は、彼が新たに始まる報道番組のキャスター・立住の周辺を張っていたことを知ります。そして何者かに襲われ、満身創痍の状態で逃げているらしいという事も。相馬自身も、公安がいったい何をしようとしていたのか疑問を持ちはじめます。

遣水たちがたどり着いた瀬戸内海の小島

正光の産科医以前の過去、山波の足跡から瀬戸内海の小島にたどり着いた三人は、正光に葉書を送った人物をさがしはじめるのですが、島の人々の対応はなかなかに厳しく、それだけ何か隠さなければならないことがあるのではないかとの予感も抱かせます。

山波が島へやってきた日に起こった出来事を推理し、村の老人に話した鑓水。そこで老人たちは、正光の過去や自分たちの過去について話しはじめます。それは鑓水たちが生まれる前、戦時中のことから一連の出来事は繋がっていたのです。

老人の死と公安刑事の失踪が繋がるとき

戦争を経験した産科医の過去から現在までの歩み。
日本という国を、外から見る視点を与えたいと考えるキャスターと製作側の意向。
公安と報道、政治家の関係とそれぞれの思惑。

目の前の利益に囚われた人間たちと、日本という国家の未来を守りたいという人間たちとの戦いの物語です。間に入った鑓水たちが、それぞれの背景と目的、行動の理由を明らかにしていきます。

まとめ

調査を続けるうちに終われる立場となった鑓水たちの緊張感ある逃走劇、その緊張を弛緩させるような鑓水の愛嬌ある言動など、絶妙なバランスを持ってテンポ良く物語は進んでいきます。上下巻というボリュームながら、その長さを一切感じさせません。


日本という国が幸せな国であるということ。その幸せな国がふとしたきっかけで坂を転がるような事態に陥ってしまうことがあるということ。それは、戦争を経験した人間たちだからこそ、幸せを強く感じ、絶望に向かって回り出す歯車を、何としてでも止めようと力を尽くすのかもしれません。

報道が持つ力とそのあり方、そしてそれを誰が動かしていくのか。報道というものについて改めて考えさせられる物語です。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

冷戦下のベルリンと現代アメリカから浮かび上がる壮大な謎

 

隠れ家の女

イラストブックレビューです。

  

隠れ家の女 (集英社文庫)

隠れ家の女 (集英社文庫)

 
 
 
 

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あらすじ

ベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツで、CIAの職員として働いていたヘレン。彼女の仕事は、スパイ活動に使われる数件の隠れ家を管理すること。ある日、この隠れ家で意味のわからない会話を耳にします。同じ隠れ家で、別の日にはCIA職員によるレイプを目撃してしまったエレンは、上層部に訴えかけるが逆にクビにされてしまいます。身の危険を感じたエレンはパリへ逃亡をはかるのですが…。

35年後、エレンは死体となって発見される

35年後、アメリカの片田舎で夫と息子とともに暮らしていたエレンは、夫とともに死体となって発見されます。そして、息子のウィラードが二人を撃ち殺した疑いで逮捕されています。

ウィラードの姉・アンナは一人で暮らしていましたが、弟が犯人であることに納得が行かず、探偵のような仕事をしているというヘンリーに真実を探るよう依頼します。ヘンリーもまた、別の依頼人からエレンを見張るように依頼されていたのでした。

物語の構成と重要な鍵

エレンがCIAの職員として働き、逃亡していた時代と、娘のアンナが母の謎を追う二段構えで物語は進んでいきます。なおかつ、エレンが握っていた秘密は隠れ家で聞いた謎の会話と、レイプの証拠である音声。この二つの録音テープがエレンが狙われている理由であり、彼女の命を左右する重要な鍵となります。

当時のエレンに協力した人物たち

エレンには数人の助っ人がいました。年の離れた恋人であり、伝説のスパイとよばれた、同じCIAの人間であるボーコム。彼は何度となくエレンに忠告を出しますが若いエレンには聞き入れることができません。


そして、情報提供者が弱い立場であることを利用して、レイプを繰り返してたCIA職員のギリーを告発するために、エレンに協力し、脱出の手助けをしていた同じCIA職員の二人の女性。彼女たちはCIAらしく慎重に、かつ的確に指示を出し、エレンをフォローしていきます。

母・エレンの過去を知り驚くアンナ

そして現代では、発達障害のある弟が両親を射殺したことは信じられないと、アンナとヘンリーは二人で実家の中を捜索し始めます。

そこで発見したものから、田舎で慎ましく暮らしていたとばかり思っていた母親が、別の名前を持ち、かつてCIAで働いていたことがわかり、アンナは衝撃を受けます。そして、母親がかつての仲間とのやりとりに使っていた私書箱の手紙などから少しずつ過去の事件の概要が明らかになっていきます。

現在と過去との関連とは

過去と現在、当時の二つの謎と現在の出来事との関連、その謎が判明することで、登場人物たちにどのような影響を及ぼすのか。敵は誰なのか、そして味方は?複雑に絡んだ謎がひとつひとつ明かになっていくたびに、驚きと感嘆の声が出てしまいます。

息をもつかせぬ展開の逃走劇と事件の謎

エレンの逃走劇では、スパイらしい洞察力や判断力に感心し、迫りくる追手の無情さやエレンに対して持つ圧倒的な力量の差に焦燥感と緊張感が漂います。当時のCIAでも女性に対してスパイ教育はされたようですが、事務方に配置され、実戦とは程遠い仕事を任されていたエレンは、敵方からはなめられていたようです。


そこを利用して、当時逃げ切り、敵と取引を交わした結果、一度は終焉を迎えたように見えた事件が再度息を吹き返してきたのはなぜなのか。

まとめ

600ページというボリューム。謎に次ぐ謎が降りかかってきますが、読者に飽きさせることのないスピーディーな展開と、スパイたちのクレバーな立ち回り、恐怖を抱えながら必死に頭と体を動かすエレンの姿に、ページをめくる手が止まりません。


CIAで力を持つ人間という、圧倒的な立場の人間との戦い。絶対的権力にひれ伏すことなく知恵と勇気で立ち向かい続けたヘレンと女性たちに、驚きと称賛を感じずにはいられない、そして当時の秘密組織というものが仔細に描かれているという点も興味深い、読みがいのあるミステリーです。


このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

nukobook.com

家族が、日々の食卓が愛おしく感じられる物語

母さんは料理がへたすぎる

イラストブックレビューです。

  

母さんは料理がへたすぎる

母さんは料理がへたすぎる

 

 

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あらすじ

一家の食卓を切りもりする山田龍一郎は高校一年生。母親の琴子、三つ子の妹・蛍、透、渉との五人家族。父親は三年前に事故で亡くなった。料理を作るのは好きだし、会社で働く母に代わって妹たちの世話もしているけれど…。家族それぞれが、悩んだり助けられたりしながら、今日という日を刻んでいく。

日々忙しく日常を送る龍一郎の生活

フルタイムで働く母親・琴子を支えて日々の家事をしてくれていた父親が亡くなって三年。家族の食事や三つ子の弁当を作り、世話をする龍一郎は、その料理の腕前を家庭科の授業でうっかり披露したために学校では「シェフ」というあだ名がついています。いつもは家事と妹たちの世話で飛ぶように時間が過ぎていくのですが、ある時、文化祭の準備のため、母親の了解を得て、学校の家庭科室でゆっくりと料理に時間をかけます。

意識を失った夢の中で出会ったのは

そんな時間は久しぶりだ、などと考えていたら母親から電話が。妹のお迎えを忘れていたことを思い出します。そして、そんな時に限って妹の一人が熱を出していたことも知らされ…。数日後龍一郎は学校の階段を踏み外し、気を失ってしまいます。すると夢の中に、亡くなった父親が現れるのです。

龍一郎の現状の自覚と、それからの日常

朝晩の食事作り、年長の三つ子の世話、家事全般を一手に引き受けるのは、高校一年生男子には大変なことです。というか、大人でも大変。それを、弱音を吐くことなくやってきた龍一郎が疲れてしまうのも無理はありません。彼も一人の高校生であり、学校生活もあります。家のことをイヤイヤやってきたわけではないけれど、立ち止まる時間がなかったから、疲れていることに気がつかなかったのかもしれません。

家に戻れば、反省した姿の母親、いつも通り龍一郎によじ登ってくる三つ子たち。彼女たちに食事を作り、そしてまた今日という日を送るのです。

物語の構成と家族の様子

物語は家族それぞれが主人公となり一話ずつ進んでいきます。三つ子の目線、母親の思いなどがとてもナチュラルに描かれ、登場人物たちが自由に動き、考え、発言していることが感じられます。

家事全般が不得意な母・琴子

タイトルにあるように、母親の琴子は料理がへたです。トースターでパン一枚を焼くにしても焦がしてしまうほど。しかし、仕事については有能で、課長に昇進し、一家の大黒柱として朝から晩まで忙しく働いています。食事や三つ子の世話では龍一郎に頼りっぱなし。

可愛さと健気さにグッとくる三つ子たち

一方三つ子は、それぞれに性格が異なります。活発で運動が得意な透、ませていて毒舌な蛍、おおらかでよく寝る渉。四人は、父親を亡くしてからの時間を、それぞれの立場で、それぞれの思いを抱えながら生きています。母親を心配したり、自分以外の家族を心配させてしまったり、自分の自信を失ったり取り戻したり。

龍一郎にとっての料理とは

悩んでも笑っても、いつも食卓に上がるのは龍太郎の作った料理です。エプロンを身につけ、彼が作るのは野菜がクタクタになったスープ、鰆の西京味噌焼き、ほうれん草入り卵焼き…。家族の笑顔が浮かんで来るような「おうちのご飯」です。

料理を作る道を目指したいと考えている龍一郎ですが、どのような料理を、なんのために作るのか、といった「目的」がわからないことで悩みます。高校卒業後、料理の学校には行きたいけれど、その後どうしたら良いのかが分からない。そのことが恥ずかしくて、進路が決まっていない友人を貶めてしまうような発言までしてしまい、自己嫌悪に陥ります。

やがて「人の笑顔が見たい」から料理を作る、という目的がはっきりとわかった龍一郎。何になりたいかではなく、どうありたいかを理解した彼は、未来に向けて大きな一歩を踏み出していきます。そして、家族たちもそれぞれに未来に向かって、一歩ずつ進んでいくのです。

まとめ

家族が誰かのことを思って作る料理、思いのこもった料理を食べること。それは、自分の体を作り、動かすための力になるとともに、悩みや問題にぶつかった時に、足を踏ん張る力にもなります。家族間の暖かい目線や、湯気の上がる食卓。そんな情景が浮かぶと明日も頑張ろうという気持ちが湧いてくるのです。家族が、日々の食卓がとても愛おしく感じられる物語です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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多彩な味わいを楽しむ料理アンソロジー

注文の多い料理小説集

イラストブックレビューです。

 

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概要

今をときめく7名の作家が「料理」をテーマに描くアンソロジー

「エルゴと不倫寿司」  柚木麻子(著)

柚木麻子著「エルゴと不倫寿司」は、タイトルからしていかがわしい雰囲気が漂います。イタリアンと寿司を融合させた、おしゃれで薄暗い店内は、欲望渦巻く男性が狙った女性を連れてくる店。そこに入ってきたのは、エルゴの抱っこ紐で赤ちゃんを抱いた一人の母親です。

赤ちゃんを抱っこした一人の女性客

化粧っ気もなく、一人でズカズカと入ってきて、カップルばかりが座るカウンターの一席にドスンと座り


「すみません、子連れで!でも、この子今、よく寝てるし、私パッと食べて、サクッとハケますんで!」


と太い声で言うのでした。どうやらオーナーの知り合いであるらしいのですが…。

彼女の存在に圧倒されるお客たち

戸惑うシェフに小肌!ビール!と注文するも、ワインしかないと冷たく言われるこの母親、しかしめげずにワインリストを要求。一本飲むのか!?と周囲も驚きの顔を隠しきれません。どうやら彼女はもともと酒豪で、授乳中はもちろん飲めずにいました。そしてついに夜間授乳が終わったので、我慢していた生モノと酒を口にしたいのだと。

なるほど、そういった状況なのですね、それはたいへんでしたね…としみじみ思うのも束の間、彼女の快進撃がはじまります。店にそぐわない、ワインの知識もない、育児に疲れた女性かと思いきや、なんだか通の人しか知らなそうなワインを注文。おまけに、そのワインの特性と、お鮨にどう合うかをサラッと述べるのです。

めちゃ美味しそうな料理を提案

そして続けてジャブを繰り出す。この方、ワインに合う料理をその場でシェフに作ってもらうのです。その料理がまた美味しそうで…。食材がないと言われれば別の食材を代用して!とテキパキと指示を出し、ワインをゴクゴク飲んでは、カーッうまい!みたいな様子。

圧倒的な強さと存在感を示す彼女は、店内の空気も変えていきます。
こうした変化をもたらすこの母親に、なんだよ、と顔をしかめる男性陣。何かしらの打算があって、男性と共に店にやってくる女性たちは、興味深い目つきで母親を眺め、その姿に彼女たちの眠っていた感覚が呼び起こされるようなのです。

彼女の存在がお客たちに変化をもたらした

男たちの打算と欲望、それを満たすために提供されるおしゃれイタリアン寿司屋、という空間。そこを土足で入ってきたかのように見えた一人の母親は、自分自身の「食」という欲望を、何者にも汚されることなく、最高の形で達成したのでした。

男性に付随していた存在であるカップルの女性たちは、その姿に刺激を受け、自分の足で、自分のために生きることを思い出したようです。

薄っぺらい欲望の滑稽さ、本当に望むものを手に入れよう(この場合は口に入れる?)とする力強くたくましい姿。その強さと美しさが、美味い料理を一皿平らげるごとに増していくように感じる、痛快で力が湧いてくる物語です。

福神漬」    深緑野分(著)

この美食と力の作品の対極にあるように見えるのが深緑野分さんの「福神漬」です。

両親の経営していた喫茶店が立ち行かなくなり、経済的に苦しくなった大学生の主人公。大学を休学し、食費を切り詰め、コンビニと病院の清掃のアルバイトをしながら日々を過ごしています。

お金がない中、侘しい食事事情

ブヨブヨのあんまんか、スペシャルな肉まんか。数十円をガマンして安くて美味しくない方を選ぶ日々。美味しくなくても何か入れなければ身体がもたない。これはカロリーだと思えば悪くない…。

残念な味わいだけれど、こういうものだと思えば悪くない、と自分に言い聞かせて食べる主人公は気の毒な面もありますが、悲劇になりすぎないのは、「仕方がない」のではなく「悪くない」という言い方が少し前向きに感じられるからかもしれません。

主人公がバイト先で見た風景

清掃のアルバイトでやってきた病院の食堂で食事を摂る主人公。本を片手に水っぽい、これまたあまり美味しくないカレーを食べていたところ、昔の食堂ではサバの煮付けに福神漬けが添えられていた、という表記を見つけます。それは組み合わせとして合うのか?そんな風に主人公が考えたとき、景色が一変するのです。

それは昔の食堂そのままで、磯臭いどころか生臭ささえあるアサリ丼、お醤油で茶色く染まった豆腐、薄すぎて透けている実のないみそ汁。それをかっこむ人々。まさに生きるために食事を「摂る」といった風景が、主人公の目の前に現れたのでした。

「食」の本来の姿

主人公が見た風景は、美食とは対極にある、「体に入れるもの」としての食事。体に取り込み、体を動かすための「食」の風景を見せてくれたのは、味や素材、その意味などをいろいろな情報を加算してしまう現代の我々に、「食」というものはもっと単純でシンプルなものなんだよ、ということを教えてくれるようです。

まとめ

個性あふれる七人の作家による食の物語。心惹かれるメニューあり、料理がつなぐ絆あり、仕事としての味わい方あり、色と食との組み合わせの妙ありと、バラエティに富んだお話ばかり。それぞれの視点と「料理」の捉え方、置き方もそれぞれで、そうした部分を比較しながら読むのも楽しいアンソロジーです。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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愛に気づけたその時が、最高に幸せな瞬間

『末ながく、お幸せに』

イラストブックレビューです。

  

末ながく、お幸せに (小学館文庫)

末ながく、お幸せに (小学館文庫)

 

 

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あらすじ

九江泰樹と瀬戸田萌恵の披露宴が行われた。招待された友人や親戚、元上司、この式をセッティングしたウエディングプランナーたちは、新郎と新婦を見守りながら、自分の人生を振り返っていく。結婚披露宴から見えてくる結婚や家族。そして人と人の繋がりを暖かく描く物語。

物語の構成

物語は、披露宴に招待された客や、披露宴に関わった人たちが、一人ずつ新郎新婦との思い出や自分の心境にスポットを当てていく形式です。新郎新婦本人が主役の章はありません。あくまでも、周囲の人が描く新郎の姿であり、新婦の姿であるのです。

新婦・萌恵の友人、愛弥のスピーチ

萌恵の高校時代の友人、愛弥。彼女はスピーチの中で、高校時代、おっとりと常に優しく微笑む萌恵に苛立ったこともあったと言います。しかし、卒業後、偶然出会った時には、その微笑みの中に強さと優しさがあったことに気づいたのです。今日、萌恵は、愛弥がデザインし縫い上げたウエディングドレスを着て皆の前に座っています。愛弥がデザイナーとしてやっていくには無理なのかと考えていた時に、萌恵から「ドレスを作って」と頼まれたのでした。

萌恵の従兄・慶介のスピーチとその境遇

萌恵の従兄、慶介は農家を営むシングルファザー。幼い娘を育てながら、有機野菜を作っています。話すのが苦手な慶介はスピーチを頼まれ、ドギマギしながらも訥々と言葉を重ねます。慶介の妻は自分が知らない男に会いに行き、事故に遭って亡くなったのでした。自分が幸せだと思っていたのは何だったのか。妻は不幸だったのか?そんな思いが慶介の頭の中を巡ります。そんな慶介に萌恵は「慶にいちゃんには野菜と桜ちゃんが遺っているんだよ」と言葉をかけたのでした。

人の感情の機微に聡く、ちょっとやそっとでは折れない強い芯を持つ萌恵。しかし、時折見せる影のような部分も持っています。それは果たして何なのでしょうか。

新郎・泰樹の友人、真澄の胸に渦巻くもの

一方、新郎の泰樹は若い頃やんちゃをしていたようです。傷害罪で服役していた友人・真澄も披露宴に呼ばれ、しかもスピーチを頼まれ、緊張しています。前科もあるし、緊張しまくっているし、読んでいる方も大丈夫かな?とハラハラしてしまいます。しかし、真澄のスピーチもたどたどしくありますが、泰樹と友達でいることができて良かった、という思いが伝わってきます。そして、こんな自分に未来なんてあるわけないと思っていたのが、スピーチをするうちに少しだけ先を見ようとするのです。

萌恵の育ってきた境遇とは

高校時代は困った時にスッと現れ、欲しい言葉をくれるような女性。社会人時代は、ハッキリとしたコンセプトを持って仕事に取り組んだ女性。そんな萌恵がどのような子供時代を送ったのかは、後半に明らかになっていきます。幼い頃に実の母親が家を出て行ってしまい、母親の妹に育てられた萌恵。実の母と育ての母に対して複雑な思いを抱いています。

萌恵の結婚観と家族観

そんな萌恵の結婚とは恋愛の延長ではなく、あくまでも二人で、家族を築いていく「きっかけ」に過ぎないのです。実の母が恋愛に走ったこと、育ての母の愛が時に重く感じること。いろんなことが消化しきれずに澱となって沈んでいる部分もあるでしょう。しかし、いろんな愛情を見てきたからこそ、自分が持っているもの、必要とするもの、目指すものが明らかになったのではないでしょうか。

まとめ

良い結婚式は、温かさに溢れ、皆の祝福の気持ちが会場を明るく気持ちの良いものにしてくれます。萌恵と泰樹の行きてきた道と、これから進もうとしていることが、皆をそうした気持ちにさせてくれるのでしょう。

「あたし、生まれてきてよかった。」

この一言が、深く、深く染み込むのです。人生は複雑に絡まり合い、時に難しい局面もあるけれど、愛はどこかに必ず存在するし、それに気づけることが最高に幸せを感じる瞬間なのではないでしょうか。そうした最高の瞬間がそこかしこに散りばめられた、感動の物語です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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パリ、アート、おしゃれ、恋。ロマンティックが溢れる物語。

『ロマンシエ』

イラストブックレビューです。

  

ロマンシエ (小学館文庫)

ロマンシエ (小学館文庫)

 

 

 
 
 
 

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『ロマンシエ』  原田マハ(著) 小学館文庫

あらすじ

アーティストの卵、遠明寺美智之輔は同級生の高瀬君に密かに思いを寄せる乙女な男子。募る恋心を表に出すことなく、美大を卒業後、単身パリ留学へと向かう。美智之輔はバイト先のカフェで羽生美晴という印象的な女性と知り合う。何と彼女は美智之輔が愛読する超人気小説の作者だったのだ。彼女が身を置いているというリトグラフ工房を訪れた美智之輔はその空間に魅了される。一方美晴ことハルさんが実は大変な状況になっており、力になることを決意した美智之輔だが。

親から結婚を押し付けられ、逃げるようにパリへ留学

政治家を父に持つお坊っちゃまで、おしゃれには余念のない青年・美智之輔。親から政治家になる未来を押し付けられながらも必死に抵抗し、ようやく美術大学へ入学。しかし、その卒業後、猿政治家の娘と結婚しろと父親に迫られ、絶妙のタイミングで決まったフランス留学のおかげでひとまずその危機は脱したのでした。

自分の感性のおもむくまま、のびのびと過ごす美智之輔

さて、フランスへやってきた美智之輔は思う存分自分の感性を発揮させます。大好きな街にときめき、自分のお気に入りのインテリアと洋服でのびのびとした暮らしを送ります。油断すると乙女の言動と態度が表に出しまうため、日本では必要以上に男らしく振る舞うように気をつけていたのです。この美智之輔の暴走する妄想が、若くて見た目美しい青年であることも相まってとても可愛らしくて、つい微笑んでしまいます。

大好きな小説を読むときには乙女が全開状態

美智之輔が高校生の頃から愛読しているのが『暴れ鮫』というハードボイルドな小説。略して『アバザメ』の新刊が出るといてもたってもいられなくなり、本を手にすると心臓をドキドキさせながら『きゃあ~~ かっこいい(はあと)』みたいな感じで読んでいるのです。可愛い(笑)。

こんなに物語にのめり込んで読める美智之輔が羨ましくなってしまうほど。とにかくアバザメは美智之輔にとってはなくてはならない物語なのです。

憧れの作家と出会ったのは魅了される空間

そんな物語の作者とふとしたきっかけで知り合った美智之輔。もう神に会ったも同然で、卒倒しそうな勢いで興奮しまくります。その著者である美晴ことハルさんがいるリトグラフ工房。ここはかつてピカソシャガールコクトーも同じ機械の前で、同じインクの匂いを嗅ぎ、制作に関わった場所。その事実に、身体中が沸き立つような思いに包まれる美智之助は、やはり根っからのアーティストなのかもしれません。

作家、ハルさんと美智之輔の関係

ハルさんは新連載が始まるこれから、という時に「もう書かない」と言います。そして、それを許さじと追いかけてくる編集者から身を隠している最中なのでした。一見、女装した男性?のような見た目のハルさんと、乙女系おしゃれアート男子の美智之輔。互いに芸術を生み出す鋭い感性の持ち主でありながら、その大きなものを抱えるあまりに脆さも持つ二人です。

偉大なる作家とその熱烈なファン。感性を刺激し合う関係。互いの力になりたいという思い。二人の関係は、単純な男女を超えて、互いが一人で立つために大きな力となる存在であるかのようです。

テンポの良い展開、そして芸術家の情熱と絶望

物語は美智之輔の乙女全開の妄想と、ハルさんを追いかける編集者たちとの攻防でテンポ良く進み、大いに笑い、ハラハラさせてくれます。そして不意をついて、創り出すものゆえの苦悩や痛みを私たちに見せるのです。そして彼らを見守るかのように、大きく包み込むアートの存在。それぞれがバランス良く混ざり合い、著者の強い言葉で持って私たちの深い部分に訴えかけてくるのです。

まとめ

心を揺さぶる物語や絵画、空間、人との出会い。それらが織りなす化学反応は、何ものにも代えがたい奇跡のような幸福をもたらすもの。そんなことを感じさせてくれる物語です。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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