ぬこのイラストブックれびゅう

ぬこのイラストブックれびゅう

雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

人が喰われていく時代を描く重厚なミステリー

 

人喰いの時代

イラストブックレビューです。

 

人喰いの時代 (ハルキ文庫)

人喰いの時代 (ハルキ文庫)

  • 作者:山田 正紀
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 文庫
 

 

f:id:nukoco:20201020101830j:plain

 

あらすじ

戦争がひたひたと迫る不穏な空気が流れる昭和初期。東京からカラフトへ向かう「紅緑丸」の船上で発見された変死体(「人喰い船」)、山中を走るバスから消えた5人の乗客の謎(「人喰いバス」)など、放浪する若者2人が遭遇した六つの殺人事件を描くミステリー。

時は満州事変が勃発してから数年後の頃。軍部が力を増し、国民生活にはあらゆる統制が加えられて、少しずつ暗い影が日本を覆っていった時代です。

船上での霊太郎との出会いと船内での出来事

青年・椹秀助はカラフトへ向かう船「紅緑丸」に乗り、その後外国へと出て行こうと考えていました。最後の日本になるのだから、と奮発して三等ではなく、二等船室を取ります。

そこで同室となったのが呪師霊太郎という、髪の長い童顔の男でした。荒れる天候により、船が揺れている中、霊太郎と食事をしようと食堂に向かう秀助。

ガラガラの食堂に来たのは自分たちだけかと思いきや、そこには1人の女性が。

それは元の亭主を捨て、藤子物産の社長夫人となった安芸子でした。

船の中には人妻と知りながら彼女を誘うような男もいましたが、突っぱねた彼女も色々と噂されるような存在だったのです。

修介が甲板で目にしたものとは

夜中に目が覚めた秀助は船内を歩き回ります。そこで目にしたのは、首にロープを食い込ませ、マストにぶら下がる、安芸子の夫であり、藤子物産の社長でもある藤子義介の姿だったのです。

甲板へ下ろした義介の手の中にはホタテの貝殻が握られていました。そしてなぜか洋服を着ておらず下着姿になっているのでした。

秀介は、事の顛末を霊太郎に話します。すると謎の解明に意欲を見せる霊太郎。彼はこう言います。

ぼくがほんとうに興味のあるのは人間心理のふしぎさ、その奇怪さなんです。

「人喰いの時代」 山田正紀(著) ハルキ文庫

事件の謎から見える、人間の意外な行動、その心の動きに何よりも心を惹かれるのだとか。そんな霊太郎は、妻の安芸子や、安芸子を誘うようなそぶりを見せていた男性・小幡などに事情を聞いていきます。

事情を聞けば聞くほど、謎は深まるように思えたのですが、霊太郎はその謎をピタリと言い当てます。謎を明かされた犯人が最後に放つ一言もまた、強烈な印象を残します。

舞台はO市(小樽市)へ

こうして1話目から本格的なミステリーがスタートします。2話目からは、船が寄港したO市(小樽市)で下船した秀介が、偶然にも霊太郎と旅館で再会し、2人でぶらぶらと行動します。

行く先々で起こる事件は、実に奇妙なものばかり。運転手を含め、5人を乗せたバスの中で死んでしまった乗客の男。1人の女性を巡ってスキー場で行方不明となってしまった2人の男性。雪のなかに真っ赤に血を染めて倒れていた少女の父親。博覧会の放送塔の上から落下し、死亡した男など。

主人公・秀介の謎が最終話で明らかに

密室要素あり、緻密なトリックあり、意外性な結末ありで、どの話も読み応えが十分です。読み進めて行くうちに、全体の構成が見えてきて、そこでも読者は驚かされます。

最終話では現代に舞台を移し、年老いた秀介と、霊太郎の孫息子が、現代で起こった殺人事件について、かつてのようにその謎を解いていきます。

そして姿を見せない霊太郎は、孫を通して秀介に向けてこれまでのことを総括し、ハッとする一言を投げかけます。そこで秀介は肩の荷を下ろしたような気になるのです。

まとめ

時代は戦争へと向かい、決して明るくはなかったようですが、小樽市の繁華街の様子や人々のエネルギー、霊太郎の人懐こさ、気軽さなどが、物語を沈ませることなく良いバランスに保ってくれます。

1度目はそれぞれの話の人間の心理と、緻密で本格的なトリックの内容を堪能し、2度目は物語全体を意識しながら読むと、なおいっそう楽しめる内容です。

物語の中から、苦しみや辛さを耐える押し殺した登場人物の気持ちが伝わってきます。また、公安などの圧力が権力という名の暴力で人々を苦しめる様子にも強い不快感を覚えます。

こうした苦しみを背負ってきた人間がどのように生きているのか。1人は消えない過去を胸に置き、もう1人はそんな彼を理解し、気にかける。

そんな友情をも感じる、重厚でありながらその物語の中に引き込まれていくミステリーです。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

罪と罰の向こうにあるもの

 

法廷遊戯

イラストブックレビューです。

 

法廷遊戯

法廷遊戯

 

 

f:id:nukoco:20201020101359j:plain

 

法都大ロースクールの模擬法廷で行われていた「無辜ゲーム」とは

裁判長、告訴者はともに学生。

告訴者は自分の身に降りかかった被害を罪という形で特定した上で、必要な証拠調べを請求し、犯人を特定。審判者が抱いた心証と告訴者のそれが一致すれば、犯人は罰を受けます。

審判者と告訴者の間で齟齬が生じた場合は、告訴者自身が罪を受けることになります。

審判者は結城馨。すでに司法試験に合格しているうえに成績優秀。なぜこの底辺大学に来たのかと周囲がいぶかしむほどの頭脳の持ち主。学生たちは馨に全般の信頼を寄せており、彼が審判者であることは揺るぎません。

セイギが被告者として無辜ゲームを開廷

その馨に無辜ゲームの開廷を申し込んだのは、セイギこと久我清義。馨の足元には及ばずとも、周囲からの期待も厚い、真面目で成績優秀な青年です。そんなセイギがなぜゲームの開廷を依頼したのか。

それは正義の過去を暴露する紙が置かれていたためでした。

セイギは施設出身。そして、16歳の頃、施設長を刺して逮捕される事件を起こしていたのでした。その事件を掲載した記事の切り抜きと、セイギが映った施設での集合写真を印刷した紙が、自習室の机の上に置いてあったのです。その紙は自習室にいた皆の目に止まることになりました。

犯人の特定と美鈴につきまとう謎の男

セイギは周囲には伏せていますが同じ施設で過ごし、今は共に法律を学んでいる織本美鈴に証人になってもらい、誰がこのチラシを置いたのかを調べ始め、同級生の藤方賢二が犯人であることを突き止めます。無辜ゲームでは犯人の有罪を勝ち取りますが、賢二自身もこの情報を自分に与えた人物は誰なのかわからないとのこと。

一方、美鈴は誰かにストーキングされているようだ、とセイギに相談します。美鈴の行動を見張っていた人物は特定できましたが、その人物も誰から依頼されたのかは口を割ろうとせず、セイギと美鈴の過去を知る人物の正体は謎に包まれたままでした。

数年ぶりに訪れた模擬法廷でセイギが目にしたものとは

月日が流れ、セイギは弁護士に。大学院で研究を続けている馨から「久しぶりに無辜ゲームを開催しよう」とメールが入り、セイギはかつて通った大学へと足を向けます。懐かしい模擬法廷の扉を開けると、そこには胸にナイフが刺さり、仰向けに倒れる馨と、衣服と両手を真っ赤に染めた美鈴の姿があったのです。

美鈴の無実を証明すべく奔走するセイギだが

状況証拠100%で美鈴が馨を殺した犯人だとされる中、セイギは美鈴の弁護をすることになります。美鈴は「やっていない」と言いながらも、当時の様子を詳しく話そうとはしません。無罪を主張するのか有罪として減刑を求める方向でいくのか。

検察側との厳しいやりとりに必死に食らいつきながら、独自に調査を進めていくセイギ。大学時代の無辜ゲームの中にこの事件のヒントは隠されていたのです。セイギと美鈴の過去や、事件にまつわる事実が明らかになっていくたびに、罪によって人生が変わっていく人々の姿に胸が締め付けられます。

「無辜」が指す意味

「無辜」とは罪のないこと、またはその人を指す言葉です。無罪だったとしても、それを証明することができなければ、有罪となります。

その仕組みは本当に完璧なのでしょうか。検察の力が絶対的であるこのシステムに問題はないのでしょうか。

何らかの都合で罪を着せられてしまった人が、無罪を証明することは不可能に近いのでしょうか。

まとめ

これらの問題が全て物語の中で描かれています。

どれもが一言では答えの出ない問題ばかりです。法廷という場が人を救う場であってほしい。そう願わずにはいられません。

リーガルミステリーの土台の上に、ヒリヒリとするような人間ドラマが展開される物語。「罪」が決定し「罰」が下されたその後には何があるのか。そんなことが胸に浮かんでくるのです。

 このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

人の心までも修繕していく「大工」という仕事

 

江戸のおんな大工

イラストブックレビューです。

 

 

江戸のおんな大工 (角川書店単行本)

江戸のおんな大工 (角川書店単行本)

 

 

 

f:id:nukoco:20201020100949j:plain



あらすじ

幼い頃から大工である父の背中を見て育った峰。父を亡くし、人生の岐路に立った峰は、おんな大工として生きていくことを決意する。神田横大工町の采配屋・与吉を通して、お峰は普請仕事を始めるのだが。

はじめに

江戸時代に女大工!その着目点にまず驚きです。江戸時代の大工仕事にも興味津々ですが、それが女性となるとどんなことになるのか。タイトルだけでワクワクさせてくれるのはさすがです。期待を裏切らない実力をお持ちの作家さんならではですね。

大工の仕事が大好きな女性・峰が選んだ道とは

江戸城小普請方、つまり城と関わりのある寺などの建物を修繕する父の仕事を見て育ってきた峰。いつしか大工仕事そのものに夢中になり、男の格好をしてこっそりと大工の仕事を手伝わせてもらっていました。

腕っぷしに自信のある男たちばかりの中に入れてもらい、現場を見て、仕事を手伝う。父親は反対することなく峰を受け入れ、見守っててくれていました。峰の目の輝きから、仕事への情熱を感じ取ったのかもしれません。

ところが、父が突然亡くなり峰は現場へ出ることができなくなります。後取りである弟の門吉は大工仕事よりも本が好き。峰は、体格もヒョロヒョロと頼りない門吉を叱り飛ばし、お前はこんなにも恵まれているというのに、と歯噛みするのでした。

そんな峰のもとに見合いの話が舞い込みます。このまま家にいても大工になれる可能性はない。そう考えた峰はなんと家を出て、采配屋をしている与吉の家に世話になり、大工としてやっていくことを決意します。

料理屋の台所に火を灯すことはできるのか

最初に入った仕事は上方からやってきた、人形町「ごくらくや」主人・杢兵衛からの依頼。要望通りに料理屋を建ててもらったところ、台所の火がつかなくて困っているので何とかしてほしいとのことでした。ここを建てた大工は「大工の仕事は建てるまで」とのたまい、台所を見てくれないのだとか。開店を間近に控え、果たして台所の火はつくようになるのでしょうか。

現地を杢兵衛とともに訪れた峰は度肝を抜かれます。寿司屋天ぷらなどの張り子が屋根の上にあり、玄関を入ればまた大きな虎の張り子が。これらは驚き、楽しんで食事をしていってもらいたいという主人の意向で、上方でも大評判だったとか。江戸でも同じように評判になると考えているようです。

しかし峰の目から見ると、江戸の建築物とはいろいろと変わった点があって…。

建物を手がけた大工・五助の話を聞き、ハラハラする様なやりとりの中から、峰の頭の中には建物の問題点と改善策が浮かんできます。

幅広い大工の仕事とその心構え

峰は父のもとで学んだ大工の知識と経験、そして住まう人の希望と周囲の環境とのバランスなど、広く細やかな目線で仕事をこなしていきます。張り子にちょっとした手を加えるなど、店舗デザインやインテリアデザイナー的なこともしており、彼女にしかできない仕事を確実に一つ一つこなしていく印象です。

そして、厳しいけれども、確実な目と腕を持つ大工、五助は峰に対してこんな言葉をかけます。

普請ってのは人の生きる場を作るものだ。生半可な気持ちで関わったら、頭の中身を持っていかれるぞ。己の作った嫌な場がずっと忘れられなくなって、気持ちがそこに閉じ込められたままになる。

五助は、最初は峰に対して女だてらにと見くびっていた部分もあるようでしたが、その仕事ぶりや、自分の悪いところを素直に認め、真摯に取り組む姿勢に、次第に彼女を認めていきます。峰の仕事の迷いに対してもこんな刺さる一言を与えてくれるのです。

峰を囲む周囲の人々の存在

大工が主人公の物語ではありますが、峰を囲む周囲の人々の存在がまた秀逸です。采配屋らしく、物事の道理と人の気持ちを考え、依頼者が笑顔になるよう努め、峰にも「世の中」の見方を教えてくれる与吉。峰や門吉を心から応援し、また苦労した者の心に寄り添える与吉の妻・芳。夫に先立たれ、娘の花と一緒に実家である采配屋で暮らしている峰の幼馴染・綾。そして苦手な大工仕事から逃げ回り、峰に頭があがらない弟・門吉。

彼らが互いに心地よい化学反応を起こし、その出来事一つ一つに深い印象を落としていきます。小さなお花が無邪気な様子を見せる場面、そして幼いながらもしっかりとした成長を感じさせるシーンでは、自分も長屋の一員になったかのように胸が熱くなりました。

峰自身が大工として成長していく姿とともに、弟・門吉が成長していく姿も描かれています。呑気に見える門吉の頭の中に広がる世界。希望と絶望。そして見つけた彼だけの道…。お芳の作ったみたらし団子を食べながら、彼らと一緒に祝福してあげたい!

誰一人として欠けてはならない、重要な役割を持っているのです。

天候に絡む「温度」を感じるシーンも見所

また、印象的なのは雨、雪、火、風が登場するシーンの「温度」を感じる描写です。その天気と大工仕事との関係を絡め、登場人物たちの感情にまで繋がっていく様子は滑らかで、自然と物語の中に入っていくことができ、その場面が深く印象に残ります。

なかでも綾の姑・ツルが暮らす長屋から火が出た時の様子。その炎の熱さがこちらにも伝わってくるようで、手に汗握ります。そして息子を亡くしてから、記憶が混沌とした中での、ツルの子を思う熱い思い。ツルを助けたために怪我を負い、床に臥せっている門吉が話す、河童の国の話。火から水へとイメージが繋がり、消される命の儚さ、残された者の悲しさがなお一層心に染み込んでいくようです。

まとめ

人の心までを修繕していく「大工」という仕事の奥深さをしみじみと感じます。自然環境や住む者の変化によって最適なものを作り上げていく柔軟性と、それを支える確かな技術力。多くの時間を過ごす「家」に関わる大工は腕だけではなく、自分自身の心のあり様も大切なのだと、そんなことを教えてくれる物語です。

 

 このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

社会や個人の行動を促すのは悪魔の仕業!?

 

人は悪魔に熱狂する

悪と欲望の行動経済学

イラストブックレビューです。

 

人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学

人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学

  • 作者:松本 健太郎
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

f:id:nukoco:20201020100235j:plain

 

概要

人が購買活動に走る理由、「人間のクズ」が愛されるのはなぜなのか、「キレイごと」ではなぜ人は動かないのか。世の中を賑わす事象を参考事例に出しながら、その裏に隠れた人間の真実を、行動経済学の観点から解説。

世の中の人々がどうしてそう考えてしまうのか、なぜそんな行動を起こしてしまうのかがよくわかる。

『サラダマック』が売れなかったワケ

顧客のニーズからヘルシーな商品を開発したが、売れなかった「サラダマック」。

顧客のニーズはヘルシーなものを食べたいというもの。しかし、マクドナルドに対して消費者が求めるものは、全く違ったものでした。

ヘルシーな食べ物が体にいいのはわかっているが、それを侵してジャンクなものを食べたい!そこを満たしてくれるのがマクドナルドという存在なのです。

そんな顧客の本当のニーズを理解して売り出した「ギガビックマック」は、ヘルシーのド対極にありながらヒット商品となったのでした。

人間は不合理で強欲な生き物

人は不合理な生き物です。口では「健康になりたい」と言いながら、油こってり、砂糖たっぷりの食べ物を口にします。

それは意思決定に歪み(バイアス)が生じているから。合理的に考えたらあり得ない行動も、自分の都合に合わせて道理を変えてしまうのです。

また、人間は強欲な生き物でもあります。そんな人間の強欲を満たしてくれるものが、ヒット商品を生み出すヒントとなります。

食欲で言えば、マクドナルドのメニューもそうですが、ブッフェ、大盛りやおかわり無料など、食欲を適度以上に満たすものを人は求めているのです。まさに悪魔の誘惑、ですね。

「人間のクズ」が愛されるワケ

1996年に連載が開始され、映画化もされるなど今なお人気の漫画「カイジ」。主人公は自堕落なダメ人間なのですが、なぜこれほどに人気があるのでしょうか。

どこまでも堕落してくカイジのそのすがたに、人々は「類似性」を見出しているのです。

家ではだらしないとか、ギャンブルが好きだとか、誰もが心の奥にクズな部分を持っていて、それを隠して社会で生きているもの。そのクズな部分が、カイジの未熟であったり弱い部分に対して「類似性」と呼ばれるシンパシーを感じさせるのです。

「キレイごと」では人は動かない

ここ数年、目にするようになった「SDGs」。2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発目標」です。「平和と公平をすべての人に」「海の豊かさを守ろう」「ジェンダーの平等」など、その内容はバラエティに富んでいます。

内容は素晴らしいものですが、個人レベルで考えてみると「だから何?」「関係なくない?」といった状態になりがちです。自分もそう思います。そう、人は正論では動かない生き物なのです。

人はストーリーで動きます。「身元の判る犠牲者行動」と呼ばれる心理現象があります。

被害者が特定可能な個人のばあい、そうでない場合と比べて、はるかに強い反応を起こすことを指します。コロナウィルスの感染者数は毎日報道されていましたが、志村けんさんが亡くなったことで、その恐怖が一気に浸透していったのは、記憶に新しい出来事です。


人の心は具体的な数字や理路整然とした主張よりも、具体的なストーリーを見ることで頭よりも感情が刺激され、行動に移るのです。ただし、そのストーリーも人工的であったりすると警戒心が働いてしまいます。

YouTuberが人気が高いのも、日常生活が垣間見えるような部屋での撮影だったりすることが、視聴者により自然な印象を与え、本人の暮らしぶりからストーリー性を感じるためかもしれません。

まとめ

このように、「欲」や「怒り」など一般的にマイナスとされる悪魔的な要素に、私たち人間は惹かれてしまう傾向にあるようです。


そしてまた、私たちの日々の行動、考えには様々な思い込みがあり、どう見てもおかしいと思われるような行動を取ってしまうこともあります。客観的な事実であるデータを提示しながら、そうした不合理な行動や考えに及んでしまう理由を解説していきます。


人間の行動や考え方の「クセ」を理解することで、どのような商品開発、販売戦略を立てたら有益な効果が出るのかを考える際に参考になるでしょう。

また消費する側からの目で見てみれば、そうしたバイアスにより自分はこんな考えに至っているのではないか、また販売側に折り込まれた戦略が潜んでいないかに目を向けるきっかけになります。


世の中を多角的に見る視点を与えてくれ、なおかつ自身の消費活動に変化が現れるかもしれない、面白くて役に立つ一冊です。

 このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

社会や個人の行動を促すのは悪魔の仕業!?

 

人は悪魔に熱狂する

悪と欲望の行動経済学

イラストブックレビューです。

 

人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学

人は悪魔に熱狂する 悪と欲望の行動経済学

  • 作者:松本 健太郎
  • 発売日: 2020/07/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

f:id:nukoco:20201020100235j:plain

 

概要

人が購買活動に走る理由、「人間のクズ」が愛されるのはなぜなのか、「キレイごと」ではなぜ人は動かないのか。世の中を賑わす事象を参考事例に出しながら、その裏に隠れた人間の真実を、行動経済学の観点から解説。

世の中の人々がどうしてそう考えてしまうのか、なぜそんな行動を起こしてしまうのかがよくわかる。

『サラダマック』が売れなかったワケ

顧客のニーズからヘルシーな商品を開発したが、売れなかった「サラダマック」。

顧客のニーズはヘルシーなものを食べたいというもの。しかし、マクドナルドに対して消費者が求めるものは、全く違ったものでした。

ヘルシーな食べ物が体にいいのはわかっているが、それを侵してジャンクなものを食べたい!そこを満たしてくれるのがマクドナルドという存在なのです。

そんな顧客の本当のニーズを理解して売り出した「ギガビックマック」は、ヘルシーのド対極にありながらヒット商品となったのでした。

人間は不合理で強欲な生き物

人は不合理な生き物です。口では「健康になりたい」と言いながら、油こってり、砂糖たっぷりの食べ物を口にします。

それは意思決定に歪み(バイアス)が生じているから。合理的に考えたらあり得ない行動も、自分の都合に合わせて道理を変えてしまうのです。

また、人間は強欲な生き物でもあります。そんな人間の強欲を満たしてくれるものが、ヒット商品を生み出すヒントとなります。

食欲で言えば、マクドナルドのメニューもそうですが、ブッフェ、大盛りやおかわり無料など、食欲を適度以上に満たすものを人は求めているのです。まさに悪魔の誘惑、ですね。

「人間のクズ」が愛されるワケ

1996年に連載が開始され、映画化もされるなど今なお人気の漫画「カイジ」。主人公は自堕落なダメ人間なのですが、なぜこれほどに人気があるのでしょうか。

どこまでも堕落してくカイジのそのすがたに、人々は「類似性」を見出しているのです。

家ではだらしないとか、ギャンブルが好きだとか、誰もが心の奥にクズな部分を持っていて、それを隠して社会で生きているもの。そのクズな部分が、カイジの未熟であったり弱い部分に対して「類似性」と呼ばれるシンパシーを感じさせるのです。

「キレイごと」では人は動かない

ここ数年、目にするようになった「SDGs」。2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発目標」です。「平和と公平をすべての人に」「海の豊かさを守ろう」「ジェンダーの平等」など、その内容はバラエティに富んでいます。

内容は素晴らしいものですが、個人レベルで考えてみると「だから何?」「関係なくない?」といった状態になりがちです。自分もそう思います。そう、人は正論では動かない生き物なのです。

人はストーリーで動きます。「身元の判る犠牲者行動」と呼ばれる心理現象があります。

被害者が特定可能な個人のばあい、そうでない場合と比べて、はるかに強い反応を起こすことを指します。コロナウィルスの感染者数は毎日報道されていましたが、志村けんさんが亡くなったことで、その恐怖が一気に浸透していったのは、記憶に新しい出来事です。


人の心は具体的な数字や理路整然とした主張よりも、具体的なストーリーを見ることで頭よりも感情が刺激され、行動に移るのです。ただし、そのストーリーも人工的であったりすると警戒心が働いてしまいます。

YouTuberが人気が高いのも、日常生活が垣間見えるような部屋での撮影だったりすることが、視聴者により自然な印象を与え、本人の暮らしぶりからストーリー性を感じるためかもしれません。

まとめ

このように、「欲」や「怒り」など一般的にマイナスとされる悪魔的な要素に、私たち人間は惹かれてしまう傾向にあるようです。


そしてまた、私たちの日々の行動、考えには様々な思い込みがあり、どう見てもおかしいと思われるような行動を取ってしまうこともあります。客観的な事実であるデータを提示しながら、そうした不合理な行動や考えに及んでしまう理由を解説していきます。


人間の行動や考え方の「クセ」を理解することで、どのような商品開発、販売戦略を立てたら有益な効果が出るのかを考える際に参考になるでしょう。

また消費する側からの目で見てみれば、そうしたバイアスにより自分はこんな考えに至っているのではないか、また販売側に折り込まれた戦略が潜んでいないかに目を向けるきっかけになります。


世の中を多角的に見る視点を与えてくれ、なおかつ自身の消費活動に変化が現れるかもしれない、面白くて役に立つ一冊です。

 このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

日本をバージョンアップさせる男 吉良大介

 

DASPA 吉良大介

イラストブックレビューです。

 

DASPA 吉良大介 (小学館文庫)

DASPA 吉良大介 (小学館文庫)

 

 

f:id:nukoco:20200921103719j:plain

 

あらすじ

内閣府に新たに設置された、各省庁の精鋭たちで組織されるDASPAー国家防衛安全保障会議。国家の非常事態に的確に対応するためにつくられた組織である。

警察庁警備局出身の吉良大介は、インテリジェンス班のサブチェアマンに抜擢されたキャリア官僚で「日本をバージョンアップする」が口癖の切れ者

DASPAスタートを目前に控えたある日、中目黒のマンションでひとりの白人男性が毒殺された。その目的は何なのか。

日本において非常事態が発生する可能性を示唆

物語は、日本がサイバーテロ攻撃を受けたらどうなるのか、という状況を描いた映画から始まります。

防衛省が制作したこの映画の内容は、まずは誤った地震速報が流れ、電車がストップします。そして首都圏で大規模な停電の発生。電話回線の不通。

最後には沖縄の基地に向かって弾道ミサイルが飛んでくる…というもの。

これらはどのように仕掛けられるのか

そして、これらの非常事態はどのように発生するか、というところを解説しています。

USBメモリを不特定多数にばら撒き、マルウェアに感染させる。インフラを破壊させるマルウェアを仕込まれる。ドローンを飛ばし、ワイヤレスで空中からハッキングされる。

これらを、アメリカなどで実際に被害に遭った例を挙げながら解説します。実例があるところがより恐ろしさを感じさせますね。

外国から受けたサイバー攻撃への対策は困難

こうした大規模な攻撃は、もはや個人ではなく国家的に仕掛けられた戦略であり、もはや戦争と言えるのです。

しかし、その攻撃が国を挙げてのものかどうかを特定することは非常に難しく、確定できないままに報復することもまた不可能なのです。

警察官僚・吉良大介の人物像

日本に起こりうる「非常事態」の対応のために作られたDASPA。サブチェアマンに選ばれた吉良大介は警察庁出身です。

鋭い推理力と行動力を持ち、上司のチェアマンである三波からも篤い信頼を得ています。趣味でヴァイオリンを弾く、という一面も持っています。

しかし、「日本をバージョンアップする」と大きな事を口にし、女性に弱いところがある吉良は、三波にとって少々煙たい存在でもあるようです。

仕事では上司をそれとなく誘導し、同僚を軽くいなし、後輩を観察し、周囲に目を配りながら着実に仕事をこなしていく、優秀な官僚です。

DASPAでなければできない事

正直、警察エリートだの官僚だの、いったい何をしているのか?という程度の認識だったのですが、本書を読んでなるほど、と腑に落ちました。

DASPAに配属される前の吉良の所属は警察庁警備局、テロ対策課。テロ行為に関する捜査などを行っていました。テロも国の危機ですが、非常事態とはこれに限りません。

サイバーテロや人によるスパイ行為など、国の土台を揺るがすような危険な状態は常に起こりうるのです。

こうした事態の対策は、過去の事例も少ない、あるいはないことから、警察や公安、自衛隊など縦割りの状態では対応しきれないことが予想されます。そこを柔軟に、的確にスピーディーに対処するためにDASPAという組織が作られたわけです。

警察でありながら国の安全を、広い目で他国とのバランスや、国内の政治状況なども勘案しながら対策を決めていく。それは官僚でなければできないことなのです。

白人男性の毒殺死体が発見される

DASPA発足が近づいたある日、目黒のマンションでひとりの白人男性が毒殺されました。その毒は猛毒の神経ガスで、一般的には手に入れにくいものです。

背後に蠢く何かを感じた吉良は、DASPAでメインに捜査するように上司に働きかけます。これも警察の元同僚などと駆け引きをしながらのやりとりです。

それぞれの機関の力関係、人間関係、その先の動きなど何歩も先のことを考え、説得できる材料を持っての交渉力に、さすがと思わず唸ります。

美人バイオリニスト・アンナの存在

死亡した白人男性の娘・アンナと、偶然バイオリン教室で出会った吉良は、彼女を効果的に活用する方法を考えます。

白人男性の正体や、彼を殺した者の背後の存在。そうした存在に父親を奪われた美しい女性バイオリニスト。

彼女が「安全な日本」を無くしてはならない、とマスコミを使って国民に訴えかけ、世論をコントロールしていきます。吉良の狙いはスパイ防止法の議案を通すことでした。

アンナは想像以上の働きをしてくれて、国民の感情は日本で起こる外国人による犯罪やスパイ行為に、今の法律では実質何の役にも立たないという方向へ国民の意識を向けていきました。

つまり、スパイ防止法成立に向けて大きな流れを作ったのです。吉良は、そんなアンナと身体の関係を持ってしまいまい、その後彼女は姿を消してしまいます。

追い詰められた吉良が取った行動とは

アンナはハニートラップを仕掛けてきたのか?

彼女の背後にいる存在は?そして彼女の身は安全なのか?

重要人物と肉体関係に陥り、かつ対象者が行方不明という、自身の進退までもが問われる状況に追い詰められた吉良。

しかも、アンナの背景が明らかになってくるにつれ、自分の狙いが歪んだ形で通されようとしている事に気が付きます。そして吉良が向かった先は…。

吉良が目指す日本の形

サイバー攻撃などによる現況での脆弱性、そしてスパイなどの外国人犯罪者による現行の法律など、穴だらけで外国人にとっては犯罪天国のような日本。

アメリカにしがみついて機嫌を伺い、自身の足で立つ事がもはや不可能な状態の幼い国家とも言えます。政治のための政治を行う議員たち、目の前の仕事だけを見て国全体を見れない官僚、縄張り争いの絶えない職場。

そんな日本をバージョンアップし、真の自立を目指す吉良。彼は、そんな中を器用に泳ぎ、時には足元をすくわれそうになりながら、日本の国力をあげようと虎視眈々と機会を伺います。

まとめ

なぜ国を信じるのか。なぜ国に力をつけようとするのか。吉良にも答えが出ない部分があるようです。

国という存在とつながってこそ、自分という個人の存在を強く感じられると言う吉良。愛国心というものが希薄な日本において、他国とのバランスを見ながら、己の足で立つ国を目指そうとする吉良のような存在は必要不可欠なのではないでしょうか。

国を支えている存在に気づかせてくれる、壮大なスケールで描くエンターテイメント小説です。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

現代に生きる私たちが考え、感じるフェミニズム

 

読書する女たち

フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか

イラストブックレビューです。

 

読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか

読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか

 

 

f:id:nukoco:20200921103223j:plain

 

概要

女子大学の学生でフェミニズムを学んだ著者のステファニーは、卒業後マスコミ関係の仕事に就き、ジョンと結婚ののちシルヴィアを出産。シルヴィアの育児や家事をしながら、時間をやりくりして、フリーランスのライターとして働く日々。

夫のジョンは育児にも協力的。それなのに夫婦の仲はなぜかギクシャクとし始める。そんな時、かつての学び舎でフェミニズムのテキスト講座がある事を知り、参加することに。

10年以上前に学んだものから、世の中はどう変化しているのか、そして自分はどう変わったのか。フェミニズムという学問を軸に、女性という性や、社会的役割、運動などの観点から探っていく。

ステファニーの子供時代

ステファニーの両親は、彼女が子供の頃に離婚。彼女は父親と暮らすことを選びます。母親は研究職に就き、仕事に喜びを感じる女性で、産後わずか1ヶ月で職場に復帰しています。そして、父親もそんな母に対して理解を示していました。

忙しく働く母と共に過ごす時間が少ない事に寂しさを感じていたステファニーですが、同じくらい母が働いている姿を誇らしくも感じていたのです。

大学卒業後、順調にキャリアを重ねていたが

大学を卒業後、就職しキャリアを積んで、結婚。妊娠がわかった時には戸惑いもあったとステファニーは言います。今なのか、と。仕事をセーブせざるを得なくなり、フリーランスとなったのは、それがベストであり、それ以外の良い方法がなかったからでもあります。

とはいえ、小さな子供がいる中での在宅の仕事は困難を極めます。泣く、叫ぶ、こぼす、話しかける。ちっとも仕事が進まず、かと言って子どもの要求を退けるのにも罪悪感があり、結局要求に応えてしまう。その結果、納期に間に合わない…。そんなイライラの繰り返しです。

大学を卒業した頃は、やる気に満ち溢れ自分の足場を築いていく事に夢中になっていたステファニー。産後、劇的に変わった社会との距離感。焦燥感と、母親としての自信の無さや、子どもに対しての罪悪感が膨れ上がっていったのです。

大学のフェミニズム講座との出会い

いろんなものに苛まれた彼女が見つけたのは、大学の「フェミニズムのテキスト講座」でした。学生時代以来、再びテキストを手にした彼女は、教授や仲間たちとともに女性の権利やその存在がどう変わってきたのかを考えます。

『自分ひとりの部屋』ヴァージニア・ウルフ(著)(1929年)

ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(1929年)は、もしシェイクスピアに、彼と同じ才能を持つ妹がいたとしたら。こんなテーマで綴られています。彼女は女であるがゆえにその才能のせいで破滅するだろうと著者は想像します。

兄と同一の教育が受けられず、家事をし、気の乗らない結婚話を勧められ、逃げ出した彼女は劇場を訪れ仕事を求めます。男たちに嘲られる彼女を気の毒に思った俳優兼劇場支配人によって彼女は妊娠し、凍える夜に自らの命を絶つのです…。

シェイクスピアの妹は当時の女性たちの象徴です。才能があってもそれを活かす機会はなく、物語を紡ぎ出す自分ひとりの部屋も持たない。それが女性の立場だったのです。ウルフは、一世紀ののちには、女性たちが充分な収入を得て、自分の部屋持ち、その才能を充分に活かす時がやってくるのだと予言しています。

ウルフが言ったように、自分に必要なのは本当に部屋や収入だけなのだろうか。ステファニーはじ自問します。深く考え、言葉にしようとすると『ママ!ママ!』とドアをドンドン叩かれるのです…。形になりかけていた言葉は空中に霧散。集中して考えることも続かないのです。わかるなあ。

第二の性シモーヌ・ド・ボーヴォワール(著)(1949年)

シモーヌ・ド・ボーヴォワール第二の性』(1949年)は、女性について文化人類学、心理学、哲学、神話学、文学といったさまざまな角度から検証する女性論の古典です。

第二次世界大戦中に出版されたこの書は、女性の性衝動、中絶、避妊、結婚、母親の役割を率直に論じています。

なかでも「女性は生まれた時から女性なのでなく、女になるのだ」という一文にはハッとさせられます。

女性は「男性との関係で定義され、差別化される。男性が女性との関係で定義され、差別化されるのではない。女性は副次的であり、必須の存在ではなく、いてもいなくても構わない存在である。男性は主体であり、絶対である。女性はそれ以外のものである」

男性はそれ自体として存在するが、女性は男性の存在によって定義づけられるのです。つまり、男性=社会のイメージする女性像があり、そのイメージとは必ずしも合致しない女性自身もいるわけです。

社会的な「女性」イメージの存在

映画や小説において、男性に誘われると喜ぶ表現をする。

セックスでは感じているフリをする。男性にたいして従属的である。

家事を行う。子どもを可愛がる母親である。

こうした女性についてのイメージについて、多くの女性は心あたりがあるのではないでしょうか。そのイメージに基づいた行動を取ってしまう事はありませんか。そうした行為を、行動・言動をとるのは本心からですか。

本心でないとしたら、それはなぜなのでしょうか。「女性」「母親」という作られた偶像のイメージに捉われてはいないでしょうか。

女性像との乖離に悩み、融合できず分裂する女性たち

母親である自分と、そのイメージと異なる自分が融合できずに分裂してしまう。ウルフやボーヴォワールはそうしたことに触れています。男性には父親である自分とそうでない自分が分裂するということはないのでしょう。そこに男女の考え方の大きな違いがあるのかもしれません。

100年前とは比べものにならないくらい女性の地位は向上しています。しかしながら、多くの女性が結婚や出産といった変化を経て、悩みを抱えていることも事実です。これだけ多様化したライフスタイルが構築されながらも、「女性」という性の社会的なイメージに振り回されてしまうのです。

まとめ

どのような歴史や学問的解釈、社会運動を経て現代の女性像があるのか。そして、そのイメージに対して現代女性はどのように感じ、葛藤したり、受け入れたりしているのか。そのイメージを取り払った時、世界はどのようになるのか。「女性」であること、そしてその存在についてじっくりと考えさせてくれる一冊です。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。