ぬこのイラストブックれびゅう

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雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

家族が、日々の食卓が愛おしく感じられる物語

母さんは料理がへたすぎる

イラストブックレビューです。

  

母さんは料理がへたすぎる

母さんは料理がへたすぎる

 

 

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あらすじ

一家の食卓を切りもりする山田龍一郎は高校一年生。母親の琴子、三つ子の妹・蛍、透、渉との五人家族。父親は三年前に事故で亡くなった。料理を作るのは好きだし、会社で働く母に代わって妹たちの世話もしているけれど…。家族それぞれが、悩んだり助けられたりしながら、今日という日を刻んでいく。

日々忙しく日常を送る龍一郎の生活

フルタイムで働く母親・琴子を支えて日々の家事をしてくれていた父親が亡くなって三年。家族の食事や三つ子の弁当を作り、世話をする龍一郎は、その料理の腕前を家庭科の授業でうっかり披露したために学校では「シェフ」というあだ名がついています。いつもは家事と妹たちの世話で飛ぶように時間が過ぎていくのですが、ある時、文化祭の準備のため、母親の了解を得て、学校の家庭科室でゆっくりと料理に時間をかけます。

意識を失った夢の中で出会ったのは

そんな時間は久しぶりだ、などと考えていたら母親から電話が。妹のお迎えを忘れていたことを思い出します。そして、そんな時に限って妹の一人が熱を出していたことも知らされ…。数日後龍一郎は学校の階段を踏み外し、気を失ってしまいます。すると夢の中に、亡くなった父親が現れるのです。

龍一郎の現状の自覚と、それからの日常

朝晩の食事作り、年長の三つ子の世話、家事全般を一手に引き受けるのは、高校一年生男子には大変なことです。というか、大人でも大変。それを、弱音を吐くことなくやってきた龍一郎が疲れてしまうのも無理はありません。彼も一人の高校生であり、学校生活もあります。家のことをイヤイヤやってきたわけではないけれど、立ち止まる時間がなかったから、疲れていることに気がつかなかったのかもしれません。

家に戻れば、反省した姿の母親、いつも通り龍一郎によじ登ってくる三つ子たち。彼女たちに食事を作り、そしてまた今日という日を送るのです。

物語の構成と家族の様子

物語は家族それぞれが主人公となり一話ずつ進んでいきます。三つ子の目線、母親の思いなどがとてもナチュラルに描かれ、登場人物たちが自由に動き、考え、発言していることが感じられます。

家事全般が不得意な母・琴子

タイトルにあるように、母親の琴子は料理がへたです。トースターでパン一枚を焼くにしても焦がしてしまうほど。しかし、仕事については有能で、課長に昇進し、一家の大黒柱として朝から晩まで忙しく働いています。食事や三つ子の世話では龍一郎に頼りっぱなし。

可愛さと健気さにグッとくる三つ子たち

一方三つ子は、それぞれに性格が異なります。活発で運動が得意な透、ませていて毒舌な蛍、おおらかでよく寝る渉。四人は、父親を亡くしてからの時間を、それぞれの立場で、それぞれの思いを抱えながら生きています。母親を心配したり、自分以外の家族を心配させてしまったり、自分の自信を失ったり取り戻したり。

龍一郎にとっての料理とは

悩んでも笑っても、いつも食卓に上がるのは龍太郎の作った料理です。エプロンを身につけ、彼が作るのは野菜がクタクタになったスープ、鰆の西京味噌焼き、ほうれん草入り卵焼き…。家族の笑顔が浮かんで来るような「おうちのご飯」です。

料理を作る道を目指したいと考えている龍一郎ですが、どのような料理を、なんのために作るのか、といった「目的」がわからないことで悩みます。高校卒業後、料理の学校には行きたいけれど、その後どうしたら良いのかが分からない。そのことが恥ずかしくて、進路が決まっていない友人を貶めてしまうような発言までしてしまい、自己嫌悪に陥ります。

やがて「人の笑顔が見たい」から料理を作る、という目的がはっきりとわかった龍一郎。何になりたいかではなく、どうありたいかを理解した彼は、未来に向けて大きな一歩を踏み出していきます。そして、家族たちもそれぞれに未来に向かって、一歩ずつ進んでいくのです。

まとめ

家族が誰かのことを思って作る料理、思いのこもった料理を食べること。それは、自分の体を作り、動かすための力になるとともに、悩みや問題にぶつかった時に、足を踏ん張る力にもなります。家族間の暖かい目線や、湯気の上がる食卓。そんな情景が浮かぶと明日も頑張ろうという気持ちが湧いてくるのです。家族が、日々の食卓がとても愛おしく感じられる物語です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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多彩な味わいを楽しむ料理アンソロジー

注文の多い料理小説集

イラストブックレビューです。

 

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概要

今をときめく7名の作家が「料理」をテーマに描くアンソロジー

「エルゴと不倫寿司」  柚木麻子(著)

柚木麻子著「エルゴと不倫寿司」は、タイトルからしていかがわしい雰囲気が漂います。イタリアンと寿司を融合させた、おしゃれで薄暗い店内は、欲望渦巻く男性が狙った女性を連れてくる店。そこに入ってきたのは、エルゴの抱っこ紐で赤ちゃんを抱いた一人の母親です。

赤ちゃんを抱っこした一人の女性客

化粧っ気もなく、一人でズカズカと入ってきて、カップルばかりが座るカウンターの一席にドスンと座り


「すみません、子連れで!でも、この子今、よく寝てるし、私パッと食べて、サクッとハケますんで!」


と太い声で言うのでした。どうやらオーナーの知り合いであるらしいのですが…。

彼女の存在に圧倒されるお客たち

戸惑うシェフに小肌!ビール!と注文するも、ワインしかないと冷たく言われるこの母親、しかしめげずにワインリストを要求。一本飲むのか!?と周囲も驚きの顔を隠しきれません。どうやら彼女はもともと酒豪で、授乳中はもちろん飲めずにいました。そしてついに夜間授乳が終わったので、我慢していた生モノと酒を口にしたいのだと。

なるほど、そういった状況なのですね、それはたいへんでしたね…としみじみ思うのも束の間、彼女の快進撃がはじまります。店にそぐわない、ワインの知識もない、育児に疲れた女性かと思いきや、なんだか通の人しか知らなそうなワインを注文。おまけに、そのワインの特性と、お鮨にどう合うかをサラッと述べるのです。

めちゃ美味しそうな料理を提案

そして続けてジャブを繰り出す。この方、ワインに合う料理をその場でシェフに作ってもらうのです。その料理がまた美味しそうで…。食材がないと言われれば別の食材を代用して!とテキパキと指示を出し、ワインをゴクゴク飲んでは、カーッうまい!みたいな様子。

圧倒的な強さと存在感を示す彼女は、店内の空気も変えていきます。
こうした変化をもたらすこの母親に、なんだよ、と顔をしかめる男性陣。何かしらの打算があって、男性と共に店にやってくる女性たちは、興味深い目つきで母親を眺め、その姿に彼女たちの眠っていた感覚が呼び起こされるようなのです。

彼女の存在がお客たちに変化をもたらした

男たちの打算と欲望、それを満たすために提供されるおしゃれイタリアン寿司屋、という空間。そこを土足で入ってきたかのように見えた一人の母親は、自分自身の「食」という欲望を、何者にも汚されることなく、最高の形で達成したのでした。

男性に付随していた存在であるカップルの女性たちは、その姿に刺激を受け、自分の足で、自分のために生きることを思い出したようです。

薄っぺらい欲望の滑稽さ、本当に望むものを手に入れよう(この場合は口に入れる?)とする力強くたくましい姿。その強さと美しさが、美味い料理を一皿平らげるごとに増していくように感じる、痛快で力が湧いてくる物語です。

福神漬」    深緑野分(著)

この美食と力の作品の対極にあるように見えるのが深緑野分さんの「福神漬」です。

両親の経営していた喫茶店が立ち行かなくなり、経済的に苦しくなった大学生の主人公。大学を休学し、食費を切り詰め、コンビニと病院の清掃のアルバイトをしながら日々を過ごしています。

お金がない中、侘しい食事事情

ブヨブヨのあんまんか、スペシャルな肉まんか。数十円をガマンして安くて美味しくない方を選ぶ日々。美味しくなくても何か入れなければ身体がもたない。これはカロリーだと思えば悪くない…。

残念な味わいだけれど、こういうものだと思えば悪くない、と自分に言い聞かせて食べる主人公は気の毒な面もありますが、悲劇になりすぎないのは、「仕方がない」のではなく「悪くない」という言い方が少し前向きに感じられるからかもしれません。

主人公がバイト先で見た風景

清掃のアルバイトでやってきた病院の食堂で食事を摂る主人公。本を片手に水っぽい、これまたあまり美味しくないカレーを食べていたところ、昔の食堂ではサバの煮付けに福神漬けが添えられていた、という表記を見つけます。それは組み合わせとして合うのか?そんな風に主人公が考えたとき、景色が一変するのです。

それは昔の食堂そのままで、磯臭いどころか生臭ささえあるアサリ丼、お醤油で茶色く染まった豆腐、薄すぎて透けている実のないみそ汁。それをかっこむ人々。まさに生きるために食事を「摂る」といった風景が、主人公の目の前に現れたのでした。

「食」の本来の姿

主人公が見た風景は、美食とは対極にある、「体に入れるもの」としての食事。体に取り込み、体を動かすための「食」の風景を見せてくれたのは、味や素材、その意味などをいろいろな情報を加算してしまう現代の我々に、「食」というものはもっと単純でシンプルなものなんだよ、ということを教えてくれるようです。

まとめ

個性あふれる七人の作家による食の物語。心惹かれるメニューあり、料理がつなぐ絆あり、仕事としての味わい方あり、色と食との組み合わせの妙ありと、バラエティに富んだお話ばかり。それぞれの視点と「料理」の捉え方、置き方もそれぞれで、そうした部分を比較しながら読むのも楽しいアンソロジーです。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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愛に気づけたその時が、最高に幸せな瞬間

『末ながく、お幸せに』

イラストブックレビューです。

  

末ながく、お幸せに (小学館文庫)

末ながく、お幸せに (小学館文庫)

 

 

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あらすじ

九江泰樹と瀬戸田萌恵の披露宴が行われた。招待された友人や親戚、元上司、この式をセッティングしたウエディングプランナーたちは、新郎と新婦を見守りながら、自分の人生を振り返っていく。結婚披露宴から見えてくる結婚や家族。そして人と人の繋がりを暖かく描く物語。

物語の構成

物語は、披露宴に招待された客や、披露宴に関わった人たちが、一人ずつ新郎新婦との思い出や自分の心境にスポットを当てていく形式です。新郎新婦本人が主役の章はありません。あくまでも、周囲の人が描く新郎の姿であり、新婦の姿であるのです。

新婦・萌恵の友人、愛弥のスピーチ

萌恵の高校時代の友人、愛弥。彼女はスピーチの中で、高校時代、おっとりと常に優しく微笑む萌恵に苛立ったこともあったと言います。しかし、卒業後、偶然出会った時には、その微笑みの中に強さと優しさがあったことに気づいたのです。今日、萌恵は、愛弥がデザインし縫い上げたウエディングドレスを着て皆の前に座っています。愛弥がデザイナーとしてやっていくには無理なのかと考えていた時に、萌恵から「ドレスを作って」と頼まれたのでした。

萌恵の従兄・慶介のスピーチとその境遇

萌恵の従兄、慶介は農家を営むシングルファザー。幼い娘を育てながら、有機野菜を作っています。話すのが苦手な慶介はスピーチを頼まれ、ドギマギしながらも訥々と言葉を重ねます。慶介の妻は自分が知らない男に会いに行き、事故に遭って亡くなったのでした。自分が幸せだと思っていたのは何だったのか。妻は不幸だったのか?そんな思いが慶介の頭の中を巡ります。そんな慶介に萌恵は「慶にいちゃんには野菜と桜ちゃんが遺っているんだよ」と言葉をかけたのでした。

人の感情の機微に聡く、ちょっとやそっとでは折れない強い芯を持つ萌恵。しかし、時折見せる影のような部分も持っています。それは果たして何なのでしょうか。

新郎・泰樹の友人、真澄の胸に渦巻くもの

一方、新郎の泰樹は若い頃やんちゃをしていたようです。傷害罪で服役していた友人・真澄も披露宴に呼ばれ、しかもスピーチを頼まれ、緊張しています。前科もあるし、緊張しまくっているし、読んでいる方も大丈夫かな?とハラハラしてしまいます。しかし、真澄のスピーチもたどたどしくありますが、泰樹と友達でいることができて良かった、という思いが伝わってきます。そして、こんな自分に未来なんてあるわけないと思っていたのが、スピーチをするうちに少しだけ先を見ようとするのです。

萌恵の育ってきた境遇とは

高校時代は困った時にスッと現れ、欲しい言葉をくれるような女性。社会人時代は、ハッキリとしたコンセプトを持って仕事に取り組んだ女性。そんな萌恵がどのような子供時代を送ったのかは、後半に明らかになっていきます。幼い頃に実の母親が家を出て行ってしまい、母親の妹に育てられた萌恵。実の母と育ての母に対して複雑な思いを抱いています。

萌恵の結婚観と家族観

そんな萌恵の結婚とは恋愛の延長ではなく、あくまでも二人で、家族を築いていく「きっかけ」に過ぎないのです。実の母が恋愛に走ったこと、育ての母の愛が時に重く感じること。いろんなことが消化しきれずに澱となって沈んでいる部分もあるでしょう。しかし、いろんな愛情を見てきたからこそ、自分が持っているもの、必要とするもの、目指すものが明らかになったのではないでしょうか。

まとめ

良い結婚式は、温かさに溢れ、皆の祝福の気持ちが会場を明るく気持ちの良いものにしてくれます。萌恵と泰樹の行きてきた道と、これから進もうとしていることが、皆をそうした気持ちにさせてくれるのでしょう。

「あたし、生まれてきてよかった。」

この一言が、深く、深く染み込むのです。人生は複雑に絡まり合い、時に難しい局面もあるけれど、愛はどこかに必ず存在するし、それに気づけることが最高に幸せを感じる瞬間なのではないでしょうか。そうした最高の瞬間がそこかしこに散りばめられた、感動の物語です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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パリ、アート、おしゃれ、恋。ロマンティックが溢れる物語。

『ロマンシエ』

イラストブックレビューです。

  

ロマンシエ (小学館文庫)

ロマンシエ (小学館文庫)

 

 

 
 
 
 

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『ロマンシエ』  原田マハ(著) 小学館文庫

あらすじ

アーティストの卵、遠明寺美智之輔は同級生の高瀬君に密かに思いを寄せる乙女な男子。募る恋心を表に出すことなく、美大を卒業後、単身パリ留学へと向かう。美智之輔はバイト先のカフェで羽生美晴という印象的な女性と知り合う。何と彼女は美智之輔が愛読する超人気小説の作者だったのだ。彼女が身を置いているというリトグラフ工房を訪れた美智之輔はその空間に魅了される。一方美晴ことハルさんが実は大変な状況になっており、力になることを決意した美智之輔だが。

親から結婚を押し付けられ、逃げるようにパリへ留学

政治家を父に持つお坊っちゃまで、おしゃれには余念のない青年・美智之輔。親から政治家になる未来を押し付けられながらも必死に抵抗し、ようやく美術大学へ入学。しかし、その卒業後、猿政治家の娘と結婚しろと父親に迫られ、絶妙のタイミングで決まったフランス留学のおかげでひとまずその危機は脱したのでした。

自分の感性のおもむくまま、のびのびと過ごす美智之輔

さて、フランスへやってきた美智之輔は思う存分自分の感性を発揮させます。大好きな街にときめき、自分のお気に入りのインテリアと洋服でのびのびとした暮らしを送ります。油断すると乙女の言動と態度が表に出しまうため、日本では必要以上に男らしく振る舞うように気をつけていたのです。この美智之輔の暴走する妄想が、若くて見た目美しい青年であることも相まってとても可愛らしくて、つい微笑んでしまいます。

大好きな小説を読むときには乙女が全開状態

美智之輔が高校生の頃から愛読しているのが『暴れ鮫』というハードボイルドな小説。略して『アバザメ』の新刊が出るといてもたってもいられなくなり、本を手にすると心臓をドキドキさせながら『きゃあ~~ かっこいい(はあと)』みたいな感じで読んでいるのです。可愛い(笑)。

こんなに物語にのめり込んで読める美智之輔が羨ましくなってしまうほど。とにかくアバザメは美智之輔にとってはなくてはならない物語なのです。

憧れの作家と出会ったのは魅了される空間

そんな物語の作者とふとしたきっかけで知り合った美智之輔。もう神に会ったも同然で、卒倒しそうな勢いで興奮しまくります。その著者である美晴ことハルさんがいるリトグラフ工房。ここはかつてピカソシャガールコクトーも同じ機械の前で、同じインクの匂いを嗅ぎ、制作に関わった場所。その事実に、身体中が沸き立つような思いに包まれる美智之助は、やはり根っからのアーティストなのかもしれません。

作家、ハルさんと美智之輔の関係

ハルさんは新連載が始まるこれから、という時に「もう書かない」と言います。そして、それを許さじと追いかけてくる編集者から身を隠している最中なのでした。一見、女装した男性?のような見た目のハルさんと、乙女系おしゃれアート男子の美智之輔。互いに芸術を生み出す鋭い感性の持ち主でありながら、その大きなものを抱えるあまりに脆さも持つ二人です。

偉大なる作家とその熱烈なファン。感性を刺激し合う関係。互いの力になりたいという思い。二人の関係は、単純な男女を超えて、互いが一人で立つために大きな力となる存在であるかのようです。

テンポの良い展開、そして芸術家の情熱と絶望

物語は美智之輔の乙女全開の妄想と、ハルさんを追いかける編集者たちとの攻防でテンポ良く進み、大いに笑い、ハラハラさせてくれます。そして不意をついて、創り出すものゆえの苦悩や痛みを私たちに見せるのです。そして彼らを見守るかのように、大きく包み込むアートの存在。それぞれがバランス良く混ざり合い、著者の強い言葉で持って私たちの深い部分に訴えかけてくるのです。

まとめ

心を揺さぶる物語や絵画、空間、人との出会い。それらが織りなす化学反応は、何ものにも代えがたい奇跡のような幸福をもたらすもの。そんなことを感じさせてくれる物語です。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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医者の使命を疲弊させてはならない

『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』

イラストブックレビューです。

 

ディア・ペイシェント 絆のカルテ (幻冬舎文庫)

ディア・ペイシェント 絆のカルテ (幻冬舎文庫)

  • 作者:南 杏子
  • 発売日: 2020/01/24
  • メディア: 文庫
 

 

 
 
 

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あらすじ

半年前に佐々井記念病院の常勤内科医になった千晶。「患者ファースト」を謳うこの病院では、コンビニ診療を希望したり、医者の判断にキレたりと様々な患者が訪れ、医師たちを疲弊させていた。そうした状況の中、千晶の前に、嫌がらせを繰り返す座間という男性患者が現れた。身も心も疲れ果てる毎日を過ごす千晶の唯一の心の拠り所は、先輩医師の陽子。しかし彼女もある医療訴訟を抱えていた。

「患者ファースト」の病院で求められる医師とは

大学病院から民間の病院へと移った三十五歳の内科医、千晶。事務局での「患者ファースト」の方針が導入されてから、「患者様」と呼びかけ、「患者様」の話は真摯に聞くことを徹底されます。それは一人当たりの診療時間が伸びることを意味し、待たされる患者の不満は募りますが、その対応も医師が何とかしろと言わんばかりの事務局。

夜間はモンスター患者が多くやってくる

そんな病院には様々な患者が訪れます。夜間に訪れる患者は特にクレーマー度が高いのだとか。明るいうちに被っていた仮面が、夜の闇に紛れて外されてしまうのでしょうか。千晶が夜間当直となった夜にもそんな患者がやってきます。痛みを訴えるヤクザっぽい男性は薬品のペンタジン常習者。依存性はないけれど、激しい痛みが緩和された時の記憶が強く残り、腰や腹が痛いと言っては痛み止めを打てと要求します。

そして一見どこも具合が悪そうに見えないサラリーマン風の男は「花粉症の薬をもらいに来た」のだと言います。昼間は時間が取れないし、混み合っているから処方箋だけでもサッと書いてくれと。これには流石に千晶も唖然。読んでいる自分も口あんぐりです。命に関わるような状態の患者が運ばれてくる横で、よくもこんな要求ができるなと。

こうした患者たちの対応も、順次判断してさばいていきます。千晶も、先輩の陽子に電話で意見を仰いだりしながら処置をしていきます。ほぼ眠らずに当直を終え、帰宅しようとすれば玄関先で認知症の患者と出会い、ベッドへと連れ戻したりも。

内科医・千晶の前に現れる不気味な男性患者

常に頭の中は患者のことでいっぱいである千晶や、同僚の医師たちには本当に頭が下がる思いです。しかし、そんな千晶の前に座間という患者が現れます。千晶が当直の夜に、病院のマニュアルや千晶のペンライトを盗んだり、病院の花壇を荒らした疑いがありますが、はっきりとした証拠はなく、千晶に話しかけてくる様子はかなり不気味です。

座間はネットの掲示板に千晶の悪評を書き続けていたのです。千晶には身に覚えのない内容ですが、病院内の会議で事務局側に問い詰められてしまいます。何故、座間は千晶に嫌がらせを続けるのか。そして事務局が主張する患者ファーストをすることで、本当に必要な患者に手が行かなくなる現実をどうしたら良いのか。病院内の医師たちも不平と疲労で崩壊寸前に…。

医師と医療行為、そして患者との関係

医師は患者の病気を看て、その病状や診療方法を伝えます。病を受け止める患者や家族の中には、動転して事実を認められず、怒りとなってその矛先が医師に向かうことがあります。それは、診療時の罵倒であったり、医療訴訟という形になって現れることもあります。

ただ、その医療行為の中には「どうしようもなかった」という状況もあります。その如何しようも無い状況から失った命、やり場のない怒りや悲しみが患者の家族に生まれることは当然あるでしょう。しかし、医師は判断ミスが許されない場で、ギリギリの状態で全力を尽くし、命を守ろうと奮闘していたのではないでしょうか。

まとめ

内科医である以上、訴訟覚悟で臨んでいる。そんな状態にまで医師を追い詰める病院の医療体制や、患者の態度。眠れず、休めぬ状態で、間違ってはいけない判断を迫られる医師の現状。そうした中で医師としての「患者を救いたい」という柱の部分を持ち続けるべく、病と、時に患者と、そして職場と、医師たちは常に戦っているのではないでしょうか。そんな医師の思いを疲弊させてはならない。そう感じた物語です。


このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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生きて朽ちていく姿から学ぶこと

『銀の猫』

イラストブックレビューです。

 

銀の猫 (文春文庫)

銀の猫 (文春文庫)

 

 

 
 
  

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あらすじ

嫁ぎ先から離縁され、長屋で母と二人暮らしのお咲。口入屋の紹介された先で、老人の世話をする「介抱人」として働いている。年寄りの数だけ、老い方もある。苦労に耐えない仕事だけれど咲にはこの仕事を続ける理由があるのです。長寿の町、江戸の人々を描く物語。

お咲が務める「介抱人」という仕事

二十五歳のお咲は、嫁ぎ先から離縁されました。お咲が勤める「介抱人」は、現代のホームヘルパーといったところ。口入屋を通して依頼のあった家に出向き、身の回りの世話などをします。老人の体調や様子を注意深く観察、理解して、動くことを勧めてみたりもします。

下の世話をしたり、移動する時には肩を支えてやったり、また体調や行動に不安がある老人も多いため、泊まり込みで介護し、寝不足になることも。夜勤日勤連続の看護師のようでもあります。若いのに、しっかりとしていて頼れる介抱人です。このお咲が介抱人として人気があるのも頷けます。

江戸時代の介護事情

物語は8つに分かれた連続短編集。それぞれのお話に、お咲が世話をすることになる老人が登場します。江戸の町は、若い頃に流行り病などで亡くなる者もいるのですが、ある程度歳を経れば長生きをする人間が多いのだとか。また、親の介護をするのは「息子」なのだそうです。意外ですね。親の面倒を見るのは、その家を継ぐ者の務めであるのだそうです。

とはいっても、老いた親の息子たちは働き盛りだったりします。妻に任せる者もありますし、自身ではやりきれない者たちも。そういった家に介護の助けとして入るのがお咲なのです。呼ばれて行く家には何かしら問題があります。それは老いた親の介護ではなくて、夫婦の問題であったり、何か別のところに問題が存在していることもしばしば。

お咲はそのお宅に口を出すことは許されません。老人のお世話について、一言繋げようとしただけでも、相手にキレられることもあるのです。それだけ介護する側の人間が追い詰められているということです。これは今の時代でも同じことですね。

お咲の心の支えとなっている者

介護をしても家族になじられ、時には老人にもキレられたりと、精神的にも肉体的にも辛い思いをしているお咲。そんな彼女が仕事を続ける支えとなっているのは、離縁された先の義父がくれた銀の猫の根付けです。介抱人をやろうというきっかけを与えてくれたのは、針のむしろのような嫁ぎ先でたったひとつのオアシスのような優しさを持った義父でした。義父の介護をしたことで、老人の心に触れ、寄り添い、力になれることに喜びを感じたのでした。

お咲を悩ます人物

こんなにも真面目でしっかりとしたいい娘のお咲なのですが、実は困ったことがあります。それは妾奉公を繰り返して生きてきた母の存在です。妾として生きてきた人ですから、家のことは一切しません。いつでも身ぎれいに自分を整えて、近所の人には愛想ひとつ見せず、お金を見つけるとすぐ使ってしまう。この母がいると思うと家に帰りたい気持ちが萎えて、どんなに体がきつくても次の依頼先へ向かった方が良いと思えてしまう…。

こうした母への確執は一向に収まる気配がなく、またその怒りが仕事へのエネルギーになることすらあるお咲。お咲がそうなってしまうほどの毒気を持った母と言って良いでしょう。むしろ、そこまでして面倒見なくちゃいけないの?元気で色気を振りまいているような母親なのに?とお咲に共感しまくりです。そして、その母と「一緒になりたい」という男が現れて…。

まとめ

人が老いて行く様子は様々です。これまで生きてきた誇りや常識を手放していく者、逆にしがみつこうとする者。意思の疎通すら儘ならぬようになっていく老人とのやりとりから見えるのは、人と人との間は理解したりされたり、またそれらができなかったりの繰り返しだということ。親と子でさえ、分かり合える時期なんてそう多くないのです。だからこそ、今この時、長く生きてきたこの老人と過ごすこのひと時を大切に噛み締めていきたい。そう思わせてくれる物語です。


このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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「なかったこと」になんてならない

 

象は忘れない

イラストブックレビューです。

 

象は忘れない (文春文庫)

象は忘れない (文春文庫)

  • 作者:広司, 柳
  • 発売日: 2020/02/05
  • メディア: 文庫
 

 

 
 
 

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あらすじ

The elephant never forgets.【象は忘れない】

英語の諺にこんなものがある。象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない、という意味である。2011年3月11日。日本を震撼された未曾有の大地震。その日、福島では一体何が起きたのか。原発事故で失われた命、電力会社と政府の欺瞞。福島から避難した母子が受けた差別。福島第一原発を題材に描く、震災と原発事故を描く短編集。

原発施設内で働く純平

福島原発施設内の配管メンテナンスをしている純平は、二つ年上の奈美子と出会い、一緒に暮らしていました。電力会社は地元では絶対的な力を持ち、住民に大きな安心感を与えている存在です。

その電力会社が紹介してくれた仕事が現在の職場でした。ところが、奈美子は原発のことを調べて不安になったらしく、チェルノブイリの事故を引き合いに出して純平を心配します。純平の口から出てくる言葉は「地震津波では原発は壊れない」「よその人間は付き合いづらい」などと、根拠のない自信と外部の意見を受け付けない頑なさを含んだものでした。

純平の原発に対する考え方とは

純平のこうした考えは、電力会社が地元の住民の安心と信頼を得るために説明を重ねたり、住民に対して就職先を斡旋してあげることや、公民館などの施設を建て替えるなどの貢献をしたことでしっかりと根付いていきます。

ただ、原発は本当に安全な設備なのか、最悪の事態が起こった時にはどう対処するのか、といったことに対して、純平は改めて目を向けることはありません。今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫。電力会社が安全だって言っているからそうなんだ。

純平と自分たちの考えが共通する部分

何も福島に限ったことではないのかもしれません。日本という国自体が、ぬるりとした安全な膜に包まれているように感じられます。問題が潜んでいることを誰かが声高に叫んだとしても、膜によってその声は遠くに聞こえられるように感じ、「今まで大丈夫だったし」「別の人が大丈夫って言ってるし」と、楽で恐怖を感じない方向に思考が向かいがちなのでしょう。しかし、これが原発で働く当事者の事となった時…。

信じられない事故が目の前で起こる

恐怖の中、マニュアルを頭の中で反芻しながら、鳴り響くのはカーンカーンカーンという線量計の警報音。できるのは「祈る」ことだけ。耳の奥では奈美子が呼んでくれた童話が聞こえてきます。

オオカミはフッとふいて、プッとふいて、プッとふき、フッとふいて、プッとふきました。けれど、いくらふいても、レンガでできた家は倒れません。

『象は忘れない』    柳広司(著) 文春文庫

レンガの家に象徴される原発の爆破は、純平の中の絶対的なものが崩れ去った瞬間でした。病院で目覚めた純平がニュースで見たのは、爆破の様子と高濃度放射能汚染水が海へ流れ出たこと。人間にできることはもはや何もないのではというその規模に愕然とし、現実感が失われていくのです。

電力会社と政府、そして報道から感じたこと

国や電力会社が何の支えにもならず、表面的なことだけを都合の良いように伝え、あとは静観という名の放置。福島の原発事故をきっかけに、私たちのニュースに対する付き合い方に変化が現れたように感じます。政府は何を私たちに感じさせたいのか。どのように思い込ませたいのか。視聴者がそう受け取ることで、政府にとってどのようなメリットがあるのか。物事には必ず二面性があるのだという側面から視聴する部分が多くなったのではないでしょうか。

能の演目とイメージを重ねたストーリー仕立てにも注目

本書は他にも「トモダチ作戦」に参加した米兵や、避難した先で差別を受けた母子の話など、福島原発に関わる物語を能のタイトルと絡ませ、イメージした内容で描かれています。タイトルは『道成寺』『黒塚』『卒塔婆小町』『善知鳥』『俊寛』。これらの能の内容と本書のストーリーを照らし合わせてみると、その関連性やイメージに新たな驚きと深い感慨を覚えるかもしれません。

まとめ

電力会社や国が福島に行ってきたこと。事故に関わった社員や、米軍、そして福島の人たちの事故前、事故当時、そして数年が経過した後の現地や避難先での様子。ニュースでは流れてこない部分を小説ならではの表現で描いていきます。国や報道が流さなくなった福島にも、戦い続けている人たちがいるということ。当時ですら、伝わることのなかった出来事や思いがあるのだということ。物語を通して、目を向け続けていきたい。そんな風に感じさせてくれる一冊です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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