ぬこのイラストブックれびゅう

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雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

人が喰われていく時代を描く重厚なミステリー

 

人喰いの時代

イラストブックレビューです。

 

人喰いの時代 (ハルキ文庫)

人喰いの時代 (ハルキ文庫)

  • 作者:山田 正紀
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 文庫
 

 

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あらすじ

戦争がひたひたと迫る不穏な空気が流れる昭和初期。東京からカラフトへ向かう「紅緑丸」の船上で発見された変死体(「人喰い船」)、山中を走るバスから消えた5人の乗客の謎(「人喰いバス」)など、放浪する若者2人が遭遇した六つの殺人事件を描くミステリー。

時は満州事変が勃発してから数年後の頃。軍部が力を増し、国民生活にはあらゆる統制が加えられて、少しずつ暗い影が日本を覆っていった時代です。

船上での霊太郎との出会いと船内での出来事

青年・椹秀助はカラフトへ向かう船「紅緑丸」に乗り、その後外国へと出て行こうと考えていました。最後の日本になるのだから、と奮発して三等ではなく、二等船室を取ります。

そこで同室となったのが呪師霊太郎という、髪の長い童顔の男でした。荒れる天候により、船が揺れている中、霊太郎と食事をしようと食堂に向かう秀助。

ガラガラの食堂に来たのは自分たちだけかと思いきや、そこには1人の女性が。

それは元の亭主を捨て、藤子物産の社長夫人となった安芸子でした。

船の中には人妻と知りながら彼女を誘うような男もいましたが、突っぱねた彼女も色々と噂されるような存在だったのです。

修介が甲板で目にしたものとは

夜中に目が覚めた秀助は船内を歩き回ります。そこで目にしたのは、首にロープを食い込ませ、マストにぶら下がる、安芸子の夫であり、藤子物産の社長でもある藤子義介の姿だったのです。

甲板へ下ろした義介の手の中にはホタテの貝殻が握られていました。そしてなぜか洋服を着ておらず下着姿になっているのでした。

秀介は、事の顛末を霊太郎に話します。すると謎の解明に意欲を見せる霊太郎。彼はこう言います。

ぼくがほんとうに興味のあるのは人間心理のふしぎさ、その奇怪さなんです。

「人喰いの時代」 山田正紀(著) ハルキ文庫

事件の謎から見える、人間の意外な行動、その心の動きに何よりも心を惹かれるのだとか。そんな霊太郎は、妻の安芸子や、安芸子を誘うようなそぶりを見せていた男性・小幡などに事情を聞いていきます。

事情を聞けば聞くほど、謎は深まるように思えたのですが、霊太郎はその謎をピタリと言い当てます。謎を明かされた犯人が最後に放つ一言もまた、強烈な印象を残します。

舞台はO市(小樽市)へ

こうして1話目から本格的なミステリーがスタートします。2話目からは、船が寄港したO市(小樽市)で下船した秀介が、偶然にも霊太郎と旅館で再会し、2人でぶらぶらと行動します。

行く先々で起こる事件は、実に奇妙なものばかり。運転手を含め、5人を乗せたバスの中で死んでしまった乗客の男。1人の女性を巡ってスキー場で行方不明となってしまった2人の男性。雪のなかに真っ赤に血を染めて倒れていた少女の父親。博覧会の放送塔の上から落下し、死亡した男など。

主人公・秀介の謎が最終話で明らかに

密室要素あり、緻密なトリックあり、意外性な結末ありで、どの話も読み応えが十分です。読み進めて行くうちに、全体の構成が見えてきて、そこでも読者は驚かされます。

最終話では現代に舞台を移し、年老いた秀介と、霊太郎の孫息子が、現代で起こった殺人事件について、かつてのようにその謎を解いていきます。

そして姿を見せない霊太郎は、孫を通して秀介に向けてこれまでのことを総括し、ハッとする一言を投げかけます。そこで秀介は肩の荷を下ろしたような気になるのです。

まとめ

時代は戦争へと向かい、決して明るくはなかったようですが、小樽市の繁華街の様子や人々のエネルギー、霊太郎の人懐こさ、気軽さなどが、物語を沈ませることなく良いバランスに保ってくれます。

1度目はそれぞれの話の人間の心理と、緻密で本格的なトリックの内容を堪能し、2度目は物語全体を意識しながら読むと、なおいっそう楽しめる内容です。

物語の中から、苦しみや辛さを耐える押し殺した登場人物の気持ちが伝わってきます。また、公安などの圧力が権力という名の暴力で人々を苦しめる様子にも強い不快感を覚えます。

こうした苦しみを背負ってきた人間がどのように生きているのか。1人は消えない過去を胸に置き、もう1人はそんな彼を理解し、気にかける。

そんな友情をも感じる、重厚でありながらその物語の中に引き込まれていくミステリーです。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。