ぬこのイラストブックれびゅう

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雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

生きて朽ちていく姿から学ぶこと

『銀の猫』

イラストブックレビューです。

 

銀の猫 (文春文庫)

銀の猫 (文春文庫)

 

 

 
 
  

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あらすじ

嫁ぎ先から離縁され、長屋で母と二人暮らしのお咲。口入屋の紹介された先で、老人の世話をする「介抱人」として働いている。年寄りの数だけ、老い方もある。苦労に耐えない仕事だけれど咲にはこの仕事を続ける理由があるのです。長寿の町、江戸の人々を描く物語。

お咲が務める「介抱人」という仕事

二十五歳のお咲は、嫁ぎ先から離縁されました。お咲が勤める「介抱人」は、現代のホームヘルパーといったところ。口入屋を通して依頼のあった家に出向き、身の回りの世話などをします。老人の体調や様子を注意深く観察、理解して、動くことを勧めてみたりもします。

下の世話をしたり、移動する時には肩を支えてやったり、また体調や行動に不安がある老人も多いため、泊まり込みで介護し、寝不足になることも。夜勤日勤連続の看護師のようでもあります。若いのに、しっかりとしていて頼れる介抱人です。このお咲が介抱人として人気があるのも頷けます。

江戸時代の介護事情

物語は8つに分かれた連続短編集。それぞれのお話に、お咲が世話をすることになる老人が登場します。江戸の町は、若い頃に流行り病などで亡くなる者もいるのですが、ある程度歳を経れば長生きをする人間が多いのだとか。また、親の介護をするのは「息子」なのだそうです。意外ですね。親の面倒を見るのは、その家を継ぐ者の務めであるのだそうです。

とはいっても、老いた親の息子たちは働き盛りだったりします。妻に任せる者もありますし、自身ではやりきれない者たちも。そういった家に介護の助けとして入るのがお咲なのです。呼ばれて行く家には何かしら問題があります。それは老いた親の介護ではなくて、夫婦の問題であったり、何か別のところに問題が存在していることもしばしば。

お咲はそのお宅に口を出すことは許されません。老人のお世話について、一言繋げようとしただけでも、相手にキレられることもあるのです。それだけ介護する側の人間が追い詰められているということです。これは今の時代でも同じことですね。

お咲の心の支えとなっている者

介護をしても家族になじられ、時には老人にもキレられたりと、精神的にも肉体的にも辛い思いをしているお咲。そんな彼女が仕事を続ける支えとなっているのは、離縁された先の義父がくれた銀の猫の根付けです。介抱人をやろうというきっかけを与えてくれたのは、針のむしろのような嫁ぎ先でたったひとつのオアシスのような優しさを持った義父でした。義父の介護をしたことで、老人の心に触れ、寄り添い、力になれることに喜びを感じたのでした。

お咲を悩ます人物

こんなにも真面目でしっかりとしたいい娘のお咲なのですが、実は困ったことがあります。それは妾奉公を繰り返して生きてきた母の存在です。妾として生きてきた人ですから、家のことは一切しません。いつでも身ぎれいに自分を整えて、近所の人には愛想ひとつ見せず、お金を見つけるとすぐ使ってしまう。この母がいると思うと家に帰りたい気持ちが萎えて、どんなに体がきつくても次の依頼先へ向かった方が良いと思えてしまう…。

こうした母への確執は一向に収まる気配がなく、またその怒りが仕事へのエネルギーになることすらあるお咲。お咲がそうなってしまうほどの毒気を持った母と言って良いでしょう。むしろ、そこまでして面倒見なくちゃいけないの?元気で色気を振りまいているような母親なのに?とお咲に共感しまくりです。そして、その母と「一緒になりたい」という男が現れて…。

まとめ

人が老いて行く様子は様々です。これまで生きてきた誇りや常識を手放していく者、逆にしがみつこうとする者。意思の疎通すら儘ならぬようになっていく老人とのやりとりから見えるのは、人と人との間は理解したりされたり、またそれらができなかったりの繰り返しだということ。親と子でさえ、分かり合える時期なんてそう多くないのです。だからこそ、今この時、長く生きてきたこの老人と過ごすこのひと時を大切に噛み締めていきたい。そう思わせてくれる物語です。


このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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「なかったこと」になんてならない

 

象は忘れない

イラストブックレビューです。

 

象は忘れない (文春文庫)

象は忘れない (文春文庫)

  • 作者:広司, 柳
  • 発売日: 2020/02/05
  • メディア: 文庫
 

 

 
 
 

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あらすじ

The elephant never forgets.【象は忘れない】

英語の諺にこんなものがある。象は非常に記憶力が良く、自分の身に起きたことは決して忘れない、という意味である。2011年3月11日。日本を震撼された未曾有の大地震。その日、福島では一体何が起きたのか。原発事故で失われた命、電力会社と政府の欺瞞。福島から避難した母子が受けた差別。福島第一原発を題材に描く、震災と原発事故を描く短編集。

原発施設内で働く純平

福島原発施設内の配管メンテナンスをしている純平は、二つ年上の奈美子と出会い、一緒に暮らしていました。電力会社は地元では絶対的な力を持ち、住民に大きな安心感を与えている存在です。

その電力会社が紹介してくれた仕事が現在の職場でした。ところが、奈美子は原発のことを調べて不安になったらしく、チェルノブイリの事故を引き合いに出して純平を心配します。純平の口から出てくる言葉は「地震津波では原発は壊れない」「よその人間は付き合いづらい」などと、根拠のない自信と外部の意見を受け付けない頑なさを含んだものでした。

純平の原発に対する考え方とは

純平のこうした考えは、電力会社が地元の住民の安心と信頼を得るために説明を重ねたり、住民に対して就職先を斡旋してあげることや、公民館などの施設を建て替えるなどの貢献をしたことでしっかりと根付いていきます。

ただ、原発は本当に安全な設備なのか、最悪の事態が起こった時にはどう対処するのか、といったことに対して、純平は改めて目を向けることはありません。今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫。電力会社が安全だって言っているからそうなんだ。

純平と自分たちの考えが共通する部分

何も福島に限ったことではないのかもしれません。日本という国自体が、ぬるりとした安全な膜に包まれているように感じられます。問題が潜んでいることを誰かが声高に叫んだとしても、膜によってその声は遠くに聞こえられるように感じ、「今まで大丈夫だったし」「別の人が大丈夫って言ってるし」と、楽で恐怖を感じない方向に思考が向かいがちなのでしょう。しかし、これが原発で働く当事者の事となった時…。

信じられない事故が目の前で起こる

恐怖の中、マニュアルを頭の中で反芻しながら、鳴り響くのはカーンカーンカーンという線量計の警報音。できるのは「祈る」ことだけ。耳の奥では奈美子が呼んでくれた童話が聞こえてきます。

オオカミはフッとふいて、プッとふいて、プッとふき、フッとふいて、プッとふきました。けれど、いくらふいても、レンガでできた家は倒れません。

『象は忘れない』    柳広司(著) 文春文庫

レンガの家に象徴される原発の爆破は、純平の中の絶対的なものが崩れ去った瞬間でした。病院で目覚めた純平がニュースで見たのは、爆破の様子と高濃度放射能汚染水が海へ流れ出たこと。人間にできることはもはや何もないのではというその規模に愕然とし、現実感が失われていくのです。

電力会社と政府、そして報道から感じたこと

国や電力会社が何の支えにもならず、表面的なことだけを都合の良いように伝え、あとは静観という名の放置。福島の原発事故をきっかけに、私たちのニュースに対する付き合い方に変化が現れたように感じます。政府は何を私たちに感じさせたいのか。どのように思い込ませたいのか。視聴者がそう受け取ることで、政府にとってどのようなメリットがあるのか。物事には必ず二面性があるのだという側面から視聴する部分が多くなったのではないでしょうか。

能の演目とイメージを重ねたストーリー仕立てにも注目

本書は他にも「トモダチ作戦」に参加した米兵や、避難した先で差別を受けた母子の話など、福島原発に関わる物語を能のタイトルと絡ませ、イメージした内容で描かれています。タイトルは『道成寺』『黒塚』『卒塔婆小町』『善知鳥』『俊寛』。これらの能の内容と本書のストーリーを照らし合わせてみると、その関連性やイメージに新たな驚きと深い感慨を覚えるかもしれません。

まとめ

電力会社や国が福島に行ってきたこと。事故に関わった社員や、米軍、そして福島の人たちの事故前、事故当時、そして数年が経過した後の現地や避難先での様子。ニュースでは流れてこない部分を小説ならではの表現で描いていきます。国や報道が流さなくなった福島にも、戦い続けている人たちがいるということ。当時ですら、伝わることのなかった出来事や思いがあるのだということ。物語を通して、目を向け続けていきたい。そんな風に感じさせてくれる一冊です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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清々しいまでの達観ぶりが光る「切ない」エッセイ

実家が全焼したら

インフルエンサーになりました

イラストブックレビューです。 

 

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あらすじ

実家が全焼し、母は蒸発、父は自殺。そんな切ない人生を送ってきた著者が、ホストのナンバー2となり、京大の大学院に進学し、インフルエンサーとなるまでの軌跡を描いたエッセイ。

著者の「切ない」エピソードを描くエッセイ

『切ない』ことが続く著者の人生を、「父との切ない話」「子どもの頃の切ない話」「大人になってからの切ない話」「インフルエンサーになった話」と四つの章に分け、それぞれの時代のエピソードを綴ります。

深刻なテーマにクスリとさせる一文を紛れこませたり、いろんな無茶をやっておきながらもどこか憎めない、奥深い人物であることが窺い知れます。

父親との切ない話

著者の父親は、ギャンブル、借金、アルコール中毒となかなかのダメ男っぷり。ついには母親が愛想を尽かして家を出て行ってしまいます。

自身の生活を立て直そうとリサイクルショップを開くも、何故かアダルトビデオも一緒に売り出すようになり、それまで少しあった売り上げも激減。ある日食材が何もないことに気づいた父は、「ドッグフード、一回食べてみよか」と言い出す。息子をナンパに使う。息子に喧嘩をさせて鍛える。


ムチャクチャやがな。そんな父親が嫌いではなく、今の自分立場から当時の父親の状況や心境を冷静に分析して、自虐とユーモアを交えつつ淡々と語る姿が印象的です。グレてもおかしくない状況ですが、根の優しさとその冷静な分析力で、不良になるには割に合わないということをすでに感じていたのかもしれませんね。

子どもの頃の切ない話

子ども時代の話は純粋に楽しめる「切ない」話が多いです。なかでも、前世が見えるという友達に、自分の前世をみてもらったら「ウナギ」だったというエピソード秀逸。しかも二匹(笑)。しかもその事実を受け入れた(爆)!切ない…。


中学時代にはビジネスも手がけ、ゲーム販売の仲介業のようなことも。自分の足で、ゲームを売りたい人と買いたい人を繋げ、成立すれば手数料をもらえる、という人力マッチングアプリのような商売です。

こうした事を思いつくこともすごいですが、迷いなく実践に移り、成果を出しているところがすごい。只者ではないですね。それでも「すごい話」で終わらないのが本書ミソ。オチはやっぱりトホホな状況になり、やはり切ないのです。

大人になってからの切ない話

大人になってからは学費を稼ぐためにホストクラブへ。先輩からのアドバイスを聴き、実践し、失敗し。それでもトライアンドエラーを繰り返し、なんとナンバー2の座へと駆け上がります。素直に人の話を聴き、実践するところがこの成功につながっているのかもしれませんね。


大学卒業後にバーを開き、経営の悪化からV字回復、その後京大の大学院へと進学。現在はサラリーマンをしていて、そこでもやっぱり切ない事態に巡り合いながら、何度もバズる状況を引き出す「インフルエンサー」となります。

「切ない」ながらも素晴らしい行動力を発揮し続ける理由とは

ジェットコースターのような、というかレールがないところばかりを走り続けてきたような著者の人生。その波乱万丈な出来事とは裏腹に、文章は自制が効いていて、雲の上から自分を眺めているような客観性があります。そんな著者から染み出てくる人生観は「やってみる」そして「その結果を受け入れる」ということです。


思い立ったら行動する。あれこれ考えすぎずにアクションに移す。もちろん失敗することもあります。そこから目を背けることなく、やっちまったなぁと受け入れ、「切ない」とすることで自分の悲しいとかやるせない気持ちを認めてあげる。そうして、きちんと消化しているから、尻込みするこなく次の行動につなげていけるのかもしれません。

まとめ

僧侶のような、達観した視点を持ちながらも、素晴らしい行動力を持つ著者の魅力が詰まったこのエッセイ。人生には何が起こるかわからない。それでも淡々と何かを行動に起こし、やらかすおかしさと、そこへ向かう勇気をもらえます。規制や思い込みを取っ払って、もっと人生いろいろと楽しんでいい。そんな気持ちにさせてくれる1冊です。 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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このおぞましさ、最上級

孤虫症 

イラストブックレビューです。

 
 

 

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あらすじ

月曜日タクヤ二十五歳、水曜日マサト二十二歳、金曜日ミノル十八歳。主婦・麻美は週に三度、他の男とセックスすることを習慣としている。ある日、ミノルの母親だという中年女が麻美の元へやってきて、ミノルが死んだのはお前のせいだと責め立てた。麻美と身体の関係を持った男たちが次々と不審な死を遂げていたのだ。そして麻美自身にも身体の変化が現れる。

主婦・麻美の日常

夫は電気会社に勤め、娘は中学受験を控えた小学六年生。週に四日、パートをしているごく平凡な主婦、麻美。妹が結婚を機に引っ越すこととなった折に、住んでいたアパートをそのまま借り続けてもらうことにして、その部屋で男たちと会っていました。

麻美はセックス依存症であるのかもしれませんが、どこか冷めた目つきで自分と男の行為を見つめるその姿に闇を感じます。行為を行ったところで大きな喜びや爽快感を得る訳ではないのに何故そうするのでしょうか。

寄生虫が体を蝕む恐怖に怯える

浮気相手の一人、ミノルの母親から責められたことで、自分と肉体関係を持った男たちが不審な死を遂げていることを知った麻美。自分自身にも腹痛や痒みなどの症状が現れますが、病院に行っても異常がないと診断されます。図書館で「家庭の医学」を読み、ひょっとして寄生虫なのでは…と考えます。

娘が勉強合宿に出かけて行き、静かになった部屋の中からは何かがカリカリと引っ掻くような音が聞こえてきます。麻美にとってその音は、不安を膨らませていく効果がありました。そして治らない痒みにのたうちまわるのです。

自身では無自覚だったストレスが、身体の異常につながっていったのでは。反抗的な娘の態度、何も気にしていないかのような夫との会話。近所の人からの目線。ほんの少しの違和感が、体に蓄積していってしまったのかもしれません。

麻美の家庭を襲った不幸

合宿所から娘が行方不明との連絡が入り、出かけていった夫。合宿中に突然生理が始まってしまった娘は、男子にからかわれて合宿所を飛び出し、林の中で足を滑らせ、切り株に頭を打ち付け、命を落としてしまったのです。ショックを抱えた夫が家に帰ると、妻はいなくなっていました。忽然と姿を消してしまったのです。

物語はここからです

ここから怒涛の展開の後半戦が始まります。麻美の妹、奈美はプロミュージシャンを目指す敏樹と結婚。しかし、麻美の夫である義兄への思いを断ち切ることができません。娘を失い、妻の行方もわからなくなり落ち込む義兄を慰めているうちに、その思いは一層高まります。

麻美の行方を捜すうちに、二転三転していく状況。そして、少しずつ明らかになっていく、麻美と肉体関係を持った男たちの死因。麻美の行方。一つの事実が明らかになるにつれ、出会ったことのない強い不快感が全身にまとわりつきます。

不快さもすごいですが、人間描写の細やかさに注目

寄生虫に関する描写も凄まじく、想像力が豊かな方は夢に出てきてしまいそうなので注意が必要です。そして、登場人物たちが、誰に、何に目線を向けて生きているのかという点が、物語全体を読み解く大事なポイントとなります。

まとめ

不快さマックスに包まれ、思わず身をよじるような描写を目にしながらも、ページをめくる手が止まらない、強力に惹きつけられる物語です。想像を超えた恐怖やおぞましさは、未知の領域にあるものを知りたいという気持ちを掻き立てるものなのかもしれません。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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データを正しく読み取る力は自分を守る武器になる

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 

イラストブックレビューです。 

 

 
 
  

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概要

環境・貧困・人口・エネルギー・医療・教育。世界の状況について、私たちはどれだけ正確に理解しているだろうか。これらについて、3択の問題を出すと、あらゆる人間が間違った答えを選ぶ。チンパンジーだって、3回に1回は正解を出すと言うのに!私たちがこうした「思い込み」を持ってしまう原因は10の本能にあった。この本能の仕組みを、正確なデータや著者の実体験を交えて詳しく解説。世界を正しく見るための方法をわかりやすく説明する。

クイズです

15歳未満の子供は、現在世界に約20億人います。国連の予測によると、2100年に子供の数は約何人になるでしょう?

A:40億人 B:30億人 C:20億人

幾らかでも電気が使える人は、世界にどれくらいいるでしょう?

A:20% B:50% C:80%

私たちは間違える

こうした世界の状況にまつわるいくつもの質問が最初に登場するのですが、ほとんどの人が間違えます。経営者、学者、政治家など様々な人物に聞いてもやはり間違えるのです。なぜ私たちはこうした勘違いをしてしまうのでしょうか。古い情報を教わっているから?しかし、最新の情報を伝えた後でも誤解を解くことができず、説明前と同じ質問を繰り返してしまうことも。

こうした思い込みは本能から来るものなのだと著者は解説します。人間は本能に従って、自分の都合に良い形に、情報をねじ曲げてしまうのです。

間違えるのは本能の仕業

例えば、人は物事のポジティブな面よりもネガティブな面に注目しやすいという特性があります。その特性が、「世界はどんどん悪くなっている」という勘違いを生み出す原因となるのです。

悪いニュースが溢れている

例えば、戦争による死者数はしばらく減少していましたが、シリア内戦やテロなどにより、また増えつつあります。漁業での乱獲や海洋汚染、地球温暖化も極めて深刻な問題ですし、金融危機がまたいつ起こるかもわかりません。確かに不安要素が多くあるのは間違いありませんし、こうしたニュースも良く流れています。

しかし、良いニュースがひんぱんに流れることはありません。良いニュースとは、ここでは「小さな進歩」を指します。具体的な例を挙げると、「世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年で約半分になった」というもの。

良いニュースは確かにある

1800年頃は人類の約85%が極度の貧困にあったのが、その頃から一環して減り続け、直近20年で見ると、人類史上最も速いスピードで、極度の貧困が減ってきているのです。

そして極度の貧困の中で暮らす人は20年前には世界人口の29%だったのですが、現在は9%まで下がっているのです。素晴らしい!他にも、減り続けている「悪いこと」、増え続けている「良いこと」の具体的な数値をいくつも挙げています。

ところがテレビのニュースでスポットライトを当てるのは、極度の貧困での人々の暮らしぶり。大変だ、辛そうだ、気の毒だ、という印象が人々の目に焼き付けられます。その暮らしぶりは事実ですが、その割合が減ってきているという事実にはなかなか目をむけることができません。

私たちが気をつけるべきこと

では私たちはどういったことに気をつければ良いのでしょうか。世界のいまを理解するには「悪い」と「良くなっている」は両立するという認識が必要です。「悪い」は現在の状態であり、「良くなっている」は変化の方向です。目の前のデータはどちらを示しているのかを見極めるのです。

悪いニュースが増えたとしても、悪い出来事が増えたとは限りません。その理由は、世界が悪くなったのではなく、監視、注目することがより多くなったためなのかもしれません。悪いニュースは広まりやすいということを年頭に置いて、情報を得ることが大切なのです。

勘違いを引き起こす様々な本能

このほかにも世界は分断されていると思い込む「分断本能」、世界の人口はひたすら増え続けるという「直線本能」、危険でないことを、恐ろしいと考えてしまう「恐怖本能」、目の前の数字が1番重要だと思い込む「過大視本能」、ひとつの例が全てに当てはまると思い込む「パターン化本能」、すべてはあらかじめ決まっていると思い込む「宿命本能」、世界はひとつの切り口で理解できると思い込む「単純化本能」などなど、実にさまざまな本能が、世界見る目にフィルターをかけてしまっていることがわかります。

頭に入りやすく、読みやすい構成と文章

著者自身の体験談や世界情勢などを織り交ぜながら、それぞれのフィルターについて詳しく説明していきます。勘違いが起こった具体的エピソードが非常に興味深く、また、環境や人口、エネルギーなどテーマが多岐にわたるにも関わらず、それぞれの項目について、新聞を読み続けたような時系列の流れが理解できるという、読みやすい文体でありながら教養書としての十分な役割を果たしているのです。

まとめ

世界は不安なニュースに満ちています。そのまま受け入れて不安な日々を送るのではなく、この数字によってどんな本能が刺激されているのか、このニュースに関連してどこに目を向けるべきなのかを考えることができれば、この世界は恐怖でいっぱいなのではなく、悪いところが減っていき、多くの人が快適に生きる環境に向かっているのだと思うことができます。

知識と教養は、心穏やかに、すこやかに過ごすためにも必要なツールなのです。

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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塀の中の彼女が本当に求めていたものは、深い香りの奥に

BUTTER 

イラストブックレビューです。

 
 
 

 

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あらすじ

婚活サイトを介して男たちから金を奪い、三人を殺した罪に問われているカジマナこと梶井真奈子。若くもなく、美人でもない彼女がなぜ複数の男性と付き合い、そして殺害に至ったのか。週刊誌の記者である町田里佳は、梶井との面接を取り付けた。梶井は里佳に対し、指定したものを食べ、その感想を注げるように命じる。梶井の指示に従い、行動するうちに里佳の外見にも内面にも変化が訪れ、やがてそれは友人や恋人、仕事までも巻き込んでいく。

女性記者、里佳は梶井に注目する

『週間秀明』の女性記者、里佳はハードな毎日を送っています。いくつかのスクープを取り、社内でも認められている存在。そんな里佳が注目したのは、首都圏不審死連続殺人の容疑者である梶井真奈子です。

美食家でも知られる梶井は、交際相手とともに高級レストランに出向いたり、セレブな女性たちが集まるような料理教室に参加し、本格的なフランス料理などを作っていたと言います。カロリーの高いものをよく食べ、そして周囲の目線を気にしたり、ダイエットなど一切考えない姿勢を持つ梶井の内面に迫ってみたいと里佳は考えます。梶井の内面に注目する事で、自分の心の奥に燻っているものに何らかの答えを見つけ出せるのではないか、とも。

親友からのアドバイスを受け、梶井との面会が可能に

里佳の親友、怜子は結婚を機に仕事を辞め、妊活中。家事を完璧にこなし、健康と味わいに隅々まで心遣いが行き渡った怜子の手料理を味わっているときに、彼女から梶井の取材依頼手紙には「レシピを教えて欲しい」と書き添えるといい、とアドバイスを受けます。その通りに手紙に一文を添ええて送ったところ、何と梶井から面会の許可をもらえたのでした。

初対面の梶井から指示されたこととは

ふくよかでツヤのある肌と髪をした梶井。事件に関して何も話をするつもりはない、という彼女が里佳に聞いてきたのは冷蔵庫の中身。ろくなものが入ってない貧相なその内容を告げた里佳に、梶井は

「私は亡き父親から女は誰に対しても寛容であれ、と学んできました。それでも、どうしても許せないものが二つだけある。フェミニストとマーガリンです」

「バター醤油ご飯を作りなさい」

バターの良さがわかる一品であり、頭の中でその画を想像したであろう梶井はリアルに、その香りさえも漂ってきそうなバター醤油ご飯の様子を語ります。そして里佳は自宅でその通りに作り、口にした途端「落ちる」かのような、力強くあくどい旨さを持ったご飯をかきこんだのです。

食生活が変化し始めた里佳

166センチ、40キロ代後半でかなり細身の里佳。普段の食事は、コンビニなどで買ったものを口の中に押し込むだけのようなものでした。ふくよかな香りとまろやかな油をまとったバターの魅力に夢中になってからは、バターたっぷりのたらこパスタや、梶井に勧められた高級レストランでの食事などハイカロリーの食事を摂り続け、どんどん体重が増えていきます。

親友の怜子は「梶井に影響されすぎではないか」と心配し、恋人は「自分の体を管理できていないんじゃないか」とたしなめ、上司や取材相手からは蔑むような目線を向けられます。もともと痩せすぎなくらいであった彼女が5キロや10キロ太ったところでいわゆる標準体型だと思いますし、何より里佳が元気に働いているのであれば何も問題はないのだと思うのですが。

体型が変化した里佳に対する周囲の反応

里佳は世間が女性に対して求めるものに違和感を感じます。梶井との出会いにより、食に気を使う事なくストイックに仕事をしていた自分から解放されようとしています。そんな里佳の姿に不安を感じる周囲の人間は彼女の足を引っ張るかのような言葉を投げかけてきます。

里佳が梶井を取材する本当の目的とは

梶井との面会を繰り返し、その言葉に従ううちに梶井の崇拝者のようになりかけていた里佳。そこには、過去に起こった出来事が関係していました。冷めたバターのように澱となり、塊となっていたその部分は、梶井との出会いにより熱を持ち、溶け出しました。流しきってはじめて、改めて取材者として梶井と対峙した里佳は、記者としての成功を収めたように見えたのですが。

梶井が求めたものと、振り回された里佳

食べるものと価値観はどこかで繋がっています。フェミニストとマーガリン。口当たりよく軽やかなものにキッパリと決別しながらも、その心の奥では手に入れる事が出来なかったものを求め続けた梶井。

そうした梶井に引きずられ、揺さぶられた後の里佳に残ったものは、ボロボロになった「里佳自身」です。太っても、考え方に変化が出ても、やはり里佳は里佳であり、周囲にとっても大事な存在なのです。そうなりたいと望んでいたのに、なれなかった梶井だからこそ、悔しい思いをし、里佳を裏切ったのかもしれません。

ふくよかで、まろやかな光を放ち、食材の旨味を引き立てるバター。被害者男性たちにとって梶井はそんな存在、あるいは梶井自身がそうありたかったのかもしれません。しかし、皆を包み込むようなものを持っていたのは、かつて細い体でキリキリと働いていた里佳のほうだったのではないでしょうか。

まとめ

親友の怜玲子や母、同僚や後輩、恋人、仕事上の付き合いの男性までに気をかけ、自分なりに心を配り、意思を伝え、その返答に傷つく。不器用ながらも、嘘のない誠実な彼女は、バターを体に取り入れ、自らの心のゲートを開き、皆に少しずつ安心感を与えるような存在へと変化していくのです。それは、あくどい旨さを持ったバターを知ったからこそ心に余裕のようなものが生まれたのかもしれません。そうした里佳の変化、彼女の影響による周囲の変化に圧倒され、読後には深く長いため息が出る、バターのように心に沁みる物語です。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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5Gスタートで買い物はどう変わる?

2025年、人は「買い物」をしなくなる  

イラストブックレビューです。

 
 

 

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はじめに

ショッピング体験の変化により、人は「買い物」をしなくなる。

お金を払って買い物をしなくなるということではなく、実店舗に行き、商品を手に取り検討し、現金を出して購入するという行為自体が新たな局面を迎えるのだ。

インターネットにより大きく変化した「買い物」についての、これまでの仕組みや概念から、これまでの常識を覆す量の情報伝達が可能になる5Gスタート後の「買い物」を、Eコマースとマーケティングの専門家が大胆に予測する。

買い物は好きですか?

買い物は好きですか?洋服を選ぶ、本を選ぶ。あれこれと手に取って悩むことも楽しいものです。

では、必要に駆られて買うものはどうでしょう?トイレットペーパー、洗濯用洗剤、事務用品といった消耗品のようなものや、空気清浄機や掃除機などの家電など、使えれば良いが、デザインも多少は選びたい。

機能性も気になるけれど、そもそも自分に必要な機能はどのようなものなのか。いろいろ情報や種類がありすぎて訳がわからない。そんな風に感じることもあるのではないでしょうか。

これまでの買い物とは

モノが溢れて、多機能な商品が充実した現代。自分が求めるモノを探し出すのも一苦労、といった側面があります。これまで「買い物」はある程度限られた品の中から、自分の懐具合と相談して決める、または買えないような高価なものを、見ることで楽しむという部分もありました。

店に行かずとも購入できる現代の買い物

ところが、多くの商品は今やネットで見ることができ、使い勝手もレビューで確認することが可能です。選ぶための情報はネットで取得できます。

また、AIも発展し、これまでの購入履歴から使い切る時期を想定して、トイレットペーパーや洗剤などを勧めてきたりします。そういえばそろそろなくなりそうだったな、とポチっとすれば買い物終了です。

会社の帰りや出かけたついでに買い、重い荷物を両手に持って帰る、または買い忘れて愕然とした、といった目に遭わずに済みます。商品を「選ぶ」という行為自体からも解放されるのです。

大型店舗の役割とは?

多くの商品が揃うデパートやショッピングモール。子供の遊び場やレストランもあり、あらゆることを一度に済ますことができるレジャーとしても活用できる場所です。

ところが、中にはどこも同じような店が入っています。店にない商品はネットで購入することも可能。であれば、わざわざ混雑する大型店舗にいく必要もないかも…。

「モノ」への価値観が変化している

「モノ」に対する考え方も変化してきています。以前は「良いものを長く使う」ことが良いとされていましたが、「良いものを使うけれども所有はしない」という価値観が出てきました。「サブスクリプション」と呼ばれる仕組みは、定額を払って品物を使うというもの。

例えば映画やドラマが見放題になる『Net Flix』、音楽配信、スタイリストがコーディネートしてくれた洋服を送ってくれる『air Closet』などその種類は多岐に渡ります。サブスクのメリットは高額の商品が、一定の金額・期間所有できること。むしろ、所有は「一時的」であり、必要な時に必要な分だけ利用する、というスタイルは、変化の早い今の時代には理にかなっているものと言えるのかもしれません。

無意識下で希望する商品までもが提案されるように

「モノ」や買い物に対する価値観の変化により、世の中の購買シーンは今後どのように変わっていくのでしょうか。

5Gの時代を迎え、画面に映るあらゆるものは購入することができるようになります。そうした購入履歴をAIが高度に分析し、私たちが無意識下で「欲しい」と感じた商品までもが提案され、「検索する」機会が減っていくのだといいます。

行き交う「情報」の中から選ばれていくものとは

身の回りや目の前にあるあらゆるものが商品として並ぶ「デジタルシェルフ」の中で人々が求めるものはどういったものでしょうか。「体験」でしか得られないもの、「共感」を得られるドラマを持った商品などが考えられます。

こうしたものは「人」との関わりがなければ生み出されません。便利で楽になった世の中でも、ネット上では全てを代替できないのが人との関わりなのです。

まとめ

買い物、モノとの付き合い方が変わっていく時代。これまでの買い物のあり方を通して、現在の「買う」という行為や価値観の変化と、これからの予測を捉えた一冊です。こうした情報を踏まえて、自分たちはどのようにモノを捉え、手に入れ、使っていくのか。改めて考えさせられます。

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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