ぬこのイラストブックれびゅう

雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

何者でもない私は かけがえのない私

田舎の紳士服店のモデルの妻』の

イラストブックレビューです。

田舎の紳士服店のモデルの妻 (文春文庫)

田舎の紳士服店のモデルの妻 (文春文庫)

 

 

東京から夫の故郷に移り住むことになった梨々子。
田舎暮らしに戸惑い、うつ病である夫とすれ違い、
子どもの成長に喜び、不安を抱え…。
30歳から40歳、普通の、等身大の女性の12年間を、
二年刻み定点観測のように描く。

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2人の息子に恵まれた梨々子。
長男は都内の幼稚園に通い、次男はまだ10ヶ月で
2時間ごとに夜泣きをします。
平凡であるが充分に幸せな日々を送っていたある日、夫から
「田舎に帰ろうと思っている」と告げられます。

東京での生活。夫への思い。さまざまな考えが巡っては
ひとまず泣く赤ん坊を宥めることにして、考えることを中止します。
子育て経験者には、とても共感出来る部分です。
大事なことを長時間考え続けることができなくて、後回し。
充分に検討することなく、決定してしまう。
でも、それほどひどい決断でもないように言い聞かせるのです。
だって、東京にどうしてもいたい、というわけでないのだから…と。

夫の田舎で暮らし始めた梨々子。
町内会で開催された運動会をきっかけにして、少しずつ周囲と
馴染んでいるかのように見えます。
東京からのママ友からのメールにも、最初はいちいち反応して
いましたが、次第に気にならなくなってきます。

ママ友からのメールの内容が、最初は「そっちの生活に慣れた?」といった
他愛のないものでしたが、次第にディープな身の上話になり、しまいには
有る事無い事(高確率で盛ってる)を独白されてしまいます。
それは、梨々子が東京にいない人だから。
「近くにいる人ではないから、はけ口にしてしまおう」という
そんな女同士の関係の描写が妙にリアルで、本当に不愉快。
しかし梨々子も大したもので「、東京へいって話聞こうか?」と
メールします。途端にメールが来なくなったとか。やるじゃないの。

子どもたちが成長するにしたがって、「長男が小学校に馴染んでいないようです」
と呼び出され、「次男が発達に問題があるようです」と呼び出され。
小綺麗な東京から来た若いママさんだった梨々子も場数?を
踏んで、親として対応に迷いが少なく、逞しくなっていきます。
事情を知らない第三者が、梨々子の一部分だけを見れば、子どもの
面倒をきちんとみていない、というかもしれません。
しかし、その裏では子どもの成長に目を向け、喜びを感じ、
自分の子育てに不安を感じることもありつつも懸命に子育てを
しているのです。

でも、やはりどこか隙が」あるというか。
梨々子は、自分が「主役であることに諦めて切れていない部分があるのですね。
根底にそんな意識があるためか、夫以外の男性と数回デートします。
うつ病である夫と、しょっ中呼び出しをもらう子供達の
生活を日々支えている梨々子の、ささやかなオアシスだったのです。
でも、その男性とは会うことを諦めます。

その瞬間、梨々子は「主役」を降りたのです。
その代わり、何になったのか。
妻なのか、母なのか、それとも。
何者でもない、何者であるかも問題ではない。
そこでただ、生きて行く。

そう決めて、風に揺れながらもしっかりと立つ葦のように
力強く、しなやかに生きていく梨々子の姿はとても美しいです。
主役を降りたことにより、誰にも替えられない自分を
手に入れたのでしょうね。それと、田舎に越して来た当初には
なかった、ここで生きていくという覚悟を。

主婦という世界に広がる価値観が、女性の生き方をがんじがらめに
することがあります。その価値観から脱出したところに
自分だけが見える、歩いていくべき世界が現れるのでしょう。
1人の女性の10年間を、じっくりと覗かせてもらい、
成長とともにそれまでの価値観がポロポロ剥がれていく様子が、
何だか梨々子が楽になっていくようで、いいな、と思いました。
女性の心の動きがつぶさに描かれているので、女性はもちろん
男性にもおすすめな一冊です。