ぬこのイラストブックれびゅう

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雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

鉄壁のアリバイを崩します

 

アリバイ崩し承ります 

イラストブックレビューです。

 
 

 

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あらすじ

鯉川商店街にある美谷時計店。時計の電池を交換してもらおうと、店を訪れた僕は、ふと壁の貼り紙が目に止まった。そこには、『アリバイ崩し承ります』『アリバイ探し承ります』との文字が。折しも犯人のアリバイ崩しに難儀していた新人刑事の僕は、店主にアリバイ崩しを依頼するのだが。ウサギを思わせるような二十代半ばの女性店主、美谷時乃が、鉄壁と思わせるアリバイを崩していくミステリー。

なぜ『アリバイ崩し』をするのか?

美谷時計店の美谷時乃は、祖父の跡を継いで時計店を営んでいます。時計の修理、販売のほか、なんと『アリバイ崩し』『アリバイ探し』をおこなっているのです。亡き祖父の、『アリバイには必ず時間がついて回る。時間のプロがアリバイの謎を解くことは、理にかなっている』という考えのもと、アリバイに関する仕事も請け負っているのです。ちなみに報酬は1件5千円。や、安い。

殺人事件の容疑者には鉄壁のアリバイが

住宅街の一軒家で浜沢杏子という一人の女性が殺害されました。発見者は妹の浜沢杏奈。妹の杏奈が言うには、杏子の元夫、菊谷吾郎が犯人に違いない、とのこと。ギャンブルにはまっていた吾郎は、ストーカーのように杏子につきまとい、職場にまで訪れ、金の無心をしていたと言うのです。しかし、杏子の死亡時刻前後、吾郎は友人たちと居酒屋で酒を飲んでいた、という鉄壁のアリバイがありました。

新人刑事がいくら考えても容疑者のアリバイは崩せず

刑事となってはじめての事件。そして、動機の上でも、言動をとっても限りなくクロに近いと思われる菊谷ですが、数人の友人が犯行時刻のアリバイを立証しているため、逮捕には至りません。菊谷が場の席を外した8分間の間に犯罪が可能であったのかを色々と検証してみるのですが、どれもかえって菊谷の犯行が不可能であったことを証明することに。そこで、この時計店の店主にアリバイ崩しを依頼するのですが。

話を聞いただけでアリバイ崩し成立!?

状況を聞いていた時乃は、

「時を戻すことができました。ー菊谷吾郎さんのアリバイは、崩れました」

なんと、話を聞いただけでアリバイの謎が解けたと言うのです。若く可愛らしい女性の安楽椅子探偵ですね。その謎のヒントは、被害者の胃の中の内容物です。食べたもの、時間。それらが死体発見時に警察にどのように判断されるか、そこをよく理解したうえで計画された犯行でした。

こうして新人刑事が、どうしても解けない事件の、犯人のアリバイについて時乃に相談していきます。アリバイ崩しに特化しているところが珍しいですし、おもしろくもあります。

アリバイ崩しの様々な依頼内容

そのアリバイも一筋縄ではいかないものばかり。犯行時刻に容疑者が凶器を手にすることは不可能だった謎、自供し、死んでしまった犯人の犯行が不可能である謎、はたまた刑事の初恋の人に似た容疑者の女性の無実を証明するためにアリバイを探してほしい…などなど、アリバイが必要となる設定だけでもバリエーション豊かで飽きさせません。

アリバイ崩しの名人、時乃とはどんな女性?

時間に関わるプロだけあって、時乃はほんの些細な狂いも見逃しません。錯覚や偶然をうまく利用したその手口を、ものの見事に解き明かして見せます。そんな鋭い頭脳を持つ彼女が、小学生の頃に祖父から出されたアリバイの謎に取り組む話もあり、その二人のやりとりにほっこりします。祖父のアリバイに対する思い入れや人柄が温かな目線で描かれ、この祖父に育てられたから、今の時乃があるのだなあと感じるのです。

まとめ

緻密に考えられたアリバイ。それを崩していく明晰な頭脳とウサギを思わせる可愛らしい見た目とのギャップが魅力の安楽椅子探偵、美谷時乃のミステリー。アリバイは複雑になるほど、説明も多くなり読んでいる方もダルくなりがちですが、そういったこともなく、スパンスパンと切れ味良く進んでいく短編集でもあります。可憐な『アリバイ崩しのプロ』の活躍に思わず「お見事!」と言いたくなる物語です。

 

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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「個性」を科学すると生きやすい社会がやってくる

ハーバードの個性学入門

平均思考は捨てなさい 

イラストブックレビューです。

 
 

 

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概要

「平均」の思考が私たちの行動や将来を著しく狭めている。ハーバード教育大学院の研究者である著者が、「平均」という概念が生まれた経緯から、それが現代社会に及ぼす影響を詳しく解説。全体から生まれた「平均」という思考に対し、個を重視する「個性学」について、神経科学、心理学、教育学をもとに提唱する。「平均」的価値観に疲弊し、限界を迎えている現代社会へ一石を投じる一冊。

「平均」思考が生まれた経緯

イギリスで産業革命が起こり、人類はそれまでより多くの労働力を手に入れました。これまでにない生産性を得た人類は、同時に膨大なデータを手に入れることになります。大量に生産する工場では、効率良く成果を出すために、決められた動きをすることを求められました。

今までなかった情報量が一気に訪れた世界で重宝されたのが「平均」という思考です。多くの情報があるのであれば、それを計算してならした値が最適値なのだ、という考え方です。世の中がバラバラでありすぎるため、拠りどころとなる情報が欲しい、という人間の心理はよくわかります。例えば育児においては「一歳になれば赤ん坊は歩くものだ」といった考えがあるように。

成長は「平均」で測れるもの?

ところが、子どもの成長にはバラつきがあり、一歳半まで歩かなかったがその後走るようになったとか、二歳まで単語を発しなかったが突然いろいろと喋るようになったなど、いわゆる「平均的な子どもの成長」と比べると、誰もが「平均値」どおりでもないことがわかります。親としてはどっしりと構えていれば良いのかもしれませんが、「普通この頃だとこうでしょ」と言われると不安になるものなのです。

「平均」を優先させることの弊害

こうした平均値の時代の弊害は教育にも表れています。教育の内容はこれまでの平均から最適な内容を検討し、生徒に学ばせています。ところが国語が得意で数学が苦手、勉強は嫌いだが運動は得意、運動も勉強も苦手だが、人をまとめる力が抜群である、など学生の能力は多様です。勉強の理解度にしても個人差があるため、テストなどのほんの一部の要素で学生の能力を測ることは、彼らの未来への道を狭めていることにもつながります。

なぜ「個性」重視が大切か

著者は自身の経験を踏まえて、「個性」を大切にするべきであると主張します。著者は高校で落ちこぼれた後、なんとか大学に入ります。教務課で勧められた授業の取り方に疑問を覚え、自分に合ったやり方で授業を取り、講義を受けていった結果、なんとストレートA(全優)という成績を収めることができたのです。それは、著者が興味のない講義は聞いていられないので内容が頭に入らない、アイデアを出し合うディスカッションは興味があるし得意、という自分の「個性」を理解し、それに合ったやり方を選んだからです。

「個性」を活かして成果を上げている企業

また、一般企業においても個性を重視した結果、業績を上げている例が挙げられています。例えば、アメリカのトマトを加工する会社、モーニングスター・カンパニーには管理職が一人もいません。肩書きも階層も存在しません。皆がフラットな状態であり、誰にでも等しく責任と新たな提案を行うチャンスがあります。職場の改善や、新規の事業などのアイデアがあるときには、提案書を作成し、皆の合意が得られれば実行となります。そこに出身大学や、成績の比較などは一切ありません。

今なお成長を続けるコストコも、採用の基準はこれまでの経歴とは関係ないのだと言います。同業他社のウォルマート離職率40%であることに比べ、コストコのそれは17%だとか。社員の満足度が高いのは給料や福利厚生の充実度ももちろんですが、本人が希望するままに教育を受け、そして関連のない部署でも異動が可能である、というその仕組みにあります。働き始めてから、自分に向いている能力に気づいたときに、それを活かせる場所で働くことが可能だということです。その効果は、会社が利益を上げ続けていることからもわかります。

まとめ

人間は一人一人違う。このような当たり前の事がわかっていながら、多くの人を動かすのに都合が良い「平均」的な思考を使い続けてきた企業や学校。それは多くの人たちが、自分に合わない形を押し付けられ、自分の考えや行動を変えてそれに合わせてきたという事でもあります。一人一人が異なる性質を持つことを理解し、その性質や能力を最大限に活かせる社会を目指していくべきではないでしょうか。

会社や学校といった場は一つの決まったやり方だけではなく多くのやり方を個人に提案すべきであり、個人も一つだけではなく、多くのやり方を調べ、検討していく。多くの人が進んでいく道は一つではなく、人の数だけ道があるのだということを本書は教えてくれるのです。

 

 

このレビューは『nuko book』に掲載したものです。

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罪とは何か 罰とは人間がすべき事なのか

『13階段』の

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あらすじ

死刑囚である樹原亮は、犯行時刻の前後数時間の記憶を失っていた。樹原の冤罪を晴らすために、刑務官である南郷は、傷害致死の前科を持つ青年・三上純一と共に調査に臨む。10年前に千葉で起こった老夫婦の強盗殺人事件。証拠も乏しい状況で、二人は真犯人を見つけ、樹原を救うことができるのか。

純一の犯した罪とは

上純一は二年前に、飲食店で口論となった相手ともみ合いになり、よろけた相手が後頭部を打ち、死亡。懲役二年となり、一年八ヶ月の服役後、仮出所となりました。家に戻った純一を迎えたのは、粗末な家に移り住んだ両親。純一が死なせた同じ歳の青年、佐村恭介の父親に賠償金を払っているためです。それを弟から聞き、衝撃を受け、また両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるのでした。

出所後の純一の状況

弟との会話や、近所の人と顔を合わせた時の反応から、自分が犯罪者であることが強烈に自覚される純一。自分の行為が世間からどう見られるのか、そしてこれから自分はどうなっていくのか、厳しい前途に暗い気持ちになります。そんな時に純一の目の前に現れたのは、刑務官の南郷でした。ベテラン刑務官でもある南郷は、純一に、ある死刑囚の冤罪を晴らす仕事に協力してほしい、と言うのです。報奨金も高額であることから、両親の負担の足しになれば、と純一は協力することを決意します。

十年前に起こった強盗殺人事件

十年前に起こった老夫婦の強盗殺人事件。夫婦がナタのようなもので頭を叩き割られた凄惨な現場でした。事件発生後、現場から離れた道路で転倒したバイクのそばに倒れていたのが樹原亮でした。樹原は窃盗の前科があり、保護司である被害者の家に出入りしていたこと、樹原の持ち物の中に、被害者のキャッシュカードが入った財布があった事、そして樹原の衣類から被害者の血液が検出された事が決定的証拠となり、強盗殺人の容疑で逮捕されたのです。

死刑囚が無罪である根拠

一見、犯行は間違い無いのでは、と思われるのですが、現場から持ち出された印鑑と預金通帳、そして凶器が発見されていないことと、樹原本人が犯行時刻の前後数時間の記憶を失くしているということが、犯罪に対する不確定要素でもあります。覚えていないのに罪を認めることはできないと、樹原は主張しているのです。そして彼が思い出した記憶の一部に「階段を昇っていた」というものがありました。その階段がどこなのか、何の目的で昇っていたのかがわかれば、事件の真相にたどり着けるのでは、と二人は考えます。

もう一つのテーマ

隠されていた真実が明らかになって行くミステリー要素と共に、この物語のベースとして描かれているのは「罪」と「裁く」ということです。犯罪を犯せば逮捕され、刑務所に行きます。刑務所での生活は犯罪者の自戒の念を高め、社会復帰させるという前提がありますが、実際は細かな規則に基づき、服役囚たちを監視しているだけ。服役囚の一体何割が罪を本当に反省し、被害者に謝罪し続ける気持ちで生きていくのか。

刑務官の奥深い悩み

死刑という制度自体には賛成派であった南郷も、執行に立ち会ってからは熟睡とは無縁の生活になりました。書類の上では犯罪者が罪を犯したことは理解していますが、会話を交わし、生活を見ていた相手の息の根を止める仕事です。その執行の具体的な様子にも息を呑みます。刑務官にとっては、一生背負っていく出来事であり、罪とは何なのか、罰とは人間が与えるものなのか、神の存在は果たして救いとなるのか。自問を続け、その答えは決して出ることは無いのです。

まとめ

一人の人間の命を奪うことは罪です。一人の人間が世の中からいなくなるだけで、関わる者たちの歯車は大きく狂い始めます。罪を犯した人間はどのように考え、人を殺めたのか。法はどのように裁くのか。その裁きは適切に施行されるのか。その裁きを実行する人間はどのような思いを抱えるのか。人の死を決定する「死刑」について深く考えさせられるミステリーです。

 

 

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世の中のあらゆる不条理を乗り越えて 人間の真理を追求する女探偵

不穏な眠り』の

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あらすじ

アラフィフの女探偵、葉村晶はミステリ古書店でアルバイト兼探偵業をしながら、店舗に住んでいる。ある日、フェアのために借り受けた「ABC時刻表」が何者かに盗まれた。その行方を追ううちに次々と新たな災難が降りかかり(「逃げ出した時刻表」)。相続で引き継いだ家に、いつの間にか住み込み死んだ女性の知人を探して欲しいとの依頼を受けた(「不穏な眠り」)。不運な女探偵、葉村晶のハードボイルドな推理小説

女探偵 葉村晶とはこんな人

ある時は命を狙われ、ある時は住む場所を失い、入院レベルの怪我も一度ならずある。女性の探偵、葉村晶は無敵のスーパーウーマンというわけではなく、経験値をもとに地道に探偵稼業をしているアラフィフの女性です。四十肩に悩まされ、夜の張り込みでは全身筋肉痛。忍び寄る老化と戦いながらお仕事をしています。

勤め先で盗難事件発生

大手の探偵事務所に勤め、フリーとなり、現在は古書店のアルバイトをしながら探偵稼業も行なっています。そんな葉村がある日突然背後から襲われ、昏倒します。しかもその際に、古書店で行うフェアの目玉商品として借りていた「ABC時刻表」が紛失していたのです。

普通の人間なら慌て騒ぐ所ですが、そこはアラフィフであり探偵です。現在の状況を分析し、店主に顛末を報告したのち(店主は入院中)、貸主の元へと向かいます。謝罪する葉村にひどい言葉を投げつけるのは貸主の箕輪重光。葉村も首筋にスタンガンを当てられて昏倒していたという、被害者でもあるわけなのですが、それなのに同情する気は皆無な様子の箕輪。大事な時刻表を紛失されたのだから無理も無いとも言えますが…。

探偵としての本領を発揮

ある意味サラリーマンよりも不条理な人物たちと関わる機会の多い葉村(それだけでも不運ですね)なので、ごく冷静に受け止め、散々相手に文句を言わせた後に「実は」と盗難後の経緯を説明します。防犯カメラに写っていた画像を示し、その人物について言及。言葉を失う箕輪。

そこには彼の知る意外な人物が写っていたのでした。

事件は解決したかのように見えたのですが

これにて一件落着か、と思いきやそうはいかず。時刻表はその人物の手を離れ、別の場所に移動。おまけに目玉であるその時刻表にまつわる事実が次々と明らかになってきて…。歪んだ感覚を持つ相手とのやりとりも、もはやベテランの域に達している葉村。駆け引きも冷静で、カッとなる部分は少なくなってきたように感じます。

葉村を動かすモチベーションとは

今回も、ハードに動き回った割には入ってきた金額が少ないとか、探偵に近いような古書店のアルバイト内容に対して、賃金は全く上向きになる様子がないとか、相変わらず気の毒な葉村の現況。着々と年をとり、日々の仕事をこなし、生きていく最低限の収入を得て暮らしていく。そんな彼女のモチベーションとは何なのでしょうか。

まとめ

事件や謎を通して関わる人間たちは、誰もが一癖あり、向かい合って話しただけでは到底理解できない面をいくつも持っています。探偵としての経験からひとつひとつ可能性を見出し、推理していく葉村は、作品を重ねるごとにそのスキルが向上していくのがよくわかります。

そうした探偵としての能力の向上も仕事のやりがいとしてはあるとは思いますが、何よりも、その能力の向上を持ってさえ、人間が隠すもの、見つけたいと思っているもの、それらを他人に明らかにされたいためにどのような行動を取るのかが予想できない面があるということ。葉村は、「人間」というものをどこまでも知りたいと考えているからこそ、不幸な目に遭い続け、老化現象に悩まされながらも、実入りの少ない探偵業を続けていけるのではないでしょうか。

 

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一人の男の絶望と再生の物語

近いはずの人 』の

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あらすじ

同じ歳の妻が、三十二歳の若さで死んだ。友達と行くと言って出かけた旅行先で、一人でタクシーに乗っていたところ、車ごとガードレールを突き破って落ちたのだ。夫である俊秀は、残された妻の携帯番号の暗証番号を、「0000」から順番に入力していたある日、とうとうロックが解除された。そこに残されていたのは、何者かとのメールのやりとり。夫の自分が知らない妻の姿が、そのメールにはあった。

妻が交通事故で帰らぬ人に

食品メーカーの営業を務める俊秀。数ヶ月前、妻を事故で亡くしました。友人と旅行へ行くと言って出かけた妻の絵美。妻と同じ会社に勤めていて、絵美の友人であった若菜さんは、妻とは旅行に行っていない、と言います。妻はいったい、誰と出かけたのか。そしてなぜ自分は絵美に「誰と行くのか」と一言聞くことができなかったのか。

俊秀という人間

あまりグイグイ行くタイプではない俊秀。ガツガツしていないところが好き、と言ってくれた絵美。しかし、絵美が流産してしまった時から、二人の間に漂う空気が変わります。俊秀は絵美に気を使い、あまり深く彼女に立ち入ろうとしなくなったのです。それでもケンカするでもなく、夫婦関係はうまくいっていると思っていたのです。少なくとも俊秀は。

妻の死後は空虚な生活が続く

絵美がいなくなってから毎日ビールを飲み、自社の製品であるカップラーメンを1個食べる。明らかに不健康な生活を送っている俊秀。会社ではミスをして上司や取引先から叱責されます。実は俊秀のミスではないかもしれないのですが、相手の思惑があってのことだから、自分が謝ればいい、と考え上司に訴えることすらしません。物分かりがいいと言えるのかもしれませんが、物事に深く立ち入らない、距離を置いている状況なのかもしれません。

妻の携帯に残されていたメール

妻の携帯に入っていたメールは、会おうとしている温泉宿に「これから行きます」という相手からのものと「待ってます」という絵美のもの。そして、絵美は自分のことを「エミリン」と言い、相手もそう呼んでいました。自分とのやりとりの中では一切なかったし、聞いたこともなかった呼び方です。絵美は浮気をしていたのか?再び思考はぐるぐると回り、酒の量が増えていく俊秀でした。

メールの相手と話して気づいたこと

しかし、ふとした機会から、絵美のメールの相手が判明します。その男性と会った俊秀は、彼から衝撃的な言葉を受けるのです。自分が気付けなかった絵美の一面。気付けなかったのではなく、気づこうとしなかった。彼女に踏み込んで行こうとしなかった自分に気づかされるのです。それは妻に限らず、仕事や絵美の実家の家族、自分の実家の家族など全てに対して同じだったのだと。

まとめ

絵美が死んだことで、俊秀に対して膜のようなものができ、彼に対して皆が距離を置きました。それは、俊秀が感じていただけで、実は自らがそのような膜を作り出し、周囲からの都合の悪い情報や状況をシャットアウトしようとしていたのかもしれません。

それは絵美を失って傷ついた自分を防御するためのものだったのでしょう。自分の悪い面もある。絵美の悪い面もあったかもしれない。それでも、自分は妻を、絵美を愛していた。そのことを強く感じたのです。彼女はもう隣にはいないけれど、その思いが明日へと目を向ける力となるのでした。愛していたことは間違いないのだ、という思いが、俊秀を囲っていた膜を破り、一歩ずつ外へと足を踏み出すのです。一人の男の絶望と再生の物語です。

 

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密室殺人の謎と迫りくる恐怖に立ち向かえるのか?

屍人荘の殺人』の

イラストブックレビューです。

 

 

神紅大学ミステリ愛好会会長であり、名探偵である明智恭介とその助手・葉村譲、そして同じ大学の探偵少女・剣崎比留子の三人は、曰く付きの映研の合宿に参加する。ある出来事によりペンションに閉じ込められてしまった合宿参加者の中の一人が、死体となって発見される。そしてまた翌日には別の人間が…。建物の内側と外側から迫りくる恐怖の中で、彼らは犯人を見つけることができるのか。

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映研の夏合宿は、大学OBの親が所有するペンションで行われました。人数合わせと、何かが起こるかもしれないという理由で、剣崎が明智と葉村に声をかけ、部外者である三人も合宿に参加することに。昨年の合宿中にあったある出来事のために一部ギクシャクとした映研メンバー。それでもバーベキュー、肝試しと少しずつ和やかな雰囲気になってきたその時、ある「出来事」が起こり、彼らはペンションの中に閉じ込められてしまいます。

 

この「出来事」が物語の重要なポイントとなるのですが、ネタバレになってしまうので書くことができません。しかしこの「出来事」によりペンションの外へ出ることができず、下界からの救出を待つしかないのですが、いつ助けが来るのか目処が立たない状況です。つまりは建物自体が密室状態となっていて、外側からは危険が迫り緊張感が漂います。

 

そんな中、メンバーの一人〇〇が外部からの被害に遭った様子で殺害されているところが発見されます。鍵がかかる密室状態での殺人、それとも外部から侵入した何かが彼を殺したのか。鋭い頭脳と推理力を持つ剣崎と、根っからの助手体質である葉村は状況からあらゆる推理を働かせます。清楚な見た目と、確かな推理力、ちょっと変わった部分もある剣崎ですが、彼女が名探偵と呼ばれることになったのは、悲しい理由があり…。

 

思いも寄らぬ状況設定、ミステリーファンが喜ぶ古典的な密室殺人事件、多くの登場人物がありながら混乱することなくすんなり読める個性的な人物設定など、どこからどう切り取っても規格外で楽しめる要素が満載なエンターテイメントサスペンス。物語だからこそ楽しめる世界、迫りくる恐怖への緊張感と推理の楽しみ、謎解きのスッキリ感。いろんな場所が刺激される、全く新しいタイプのミステリーです。

 

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父の死によって浮かび上がる 家族それぞれの愛の形

ママがやった』の

イラストブックレビューです。

 
 

 

突然母親に呼びつけられ、実家の小料理屋へ向かうと、父親が死んでいた。母親が殺したのだと言う。姉二人と弟一人の三人姉弟は父親の死体を処理する相談をはじめる。いつもと変わらない様子の母が作った筍ご飯を食べながら、自分勝手で女性にだらしなかった父親にそれぞれが思いを馳せる。家族とは、男と女とは。愛情の形がそれぞれの思いに沿って浮かびあがっていく。

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長女と小料理屋を営む79歳の母は、店の2階で72歳の父親と暮らしていました。子供たちが駆けつけると、その2階の布団の上で父親は死んでいました。

 

まさか本当に死ぬとは思わなかったんだけど、死ぬものなのねえ。びっくりしたわと母親は、全くびっくりしていない様子で言った。

 

計画的なものではないようですが、混乱したりヒステリックになることもなく至極冷静というか、いつも通りの母。しかも集まった三人の子供たちに対して

 

「あんたたち、お昼食べていくんでしょう」と母親は米を研ぎ始めた。

 

ええと、それどころではないのでは?と思いながらも子供たちもその筍ご飯を食べながら(食べるんかい)父親の死体処理の相談をします。警察に連絡を、と至極まっとうな提案をした弟に、姉たちはすかさず却下。年老いた母親を牢屋に入れると言うのか!苦労して私たちを育ててくれたというのに。そして心の中では、あの父親では殺されても仕方がないのではないかと呟いているようで、とうとう死体を遺棄することに。当の母親は全く他人事の様子で聞いています。

 

そして、家族それぞれが父親と関わった今までの自分を振り返っていきます。

母親と父親の出会い。独身で店を手伝っている長女の恋愛観。結婚して三人の子供を持つ次女。家事代行会社のパート職員として働き、ちょくちょく実家に帰ってはご飯を食べさせてもらっている長男末っ子。彼らから見た父親像とはどんなものだったのでしょうか。

 

写真家、イラストレーター、旅行記者、小説家と「自称」の職を転々とし、要は妻の稼ぎによって食べていた父。常に別の女の影があり、家には帰ってきたり、来なかったり。最近では付き合っている女性をこの店にまで連れてきていたという、だらしないクズ男。でも母親はそんな父親と別れるでもなく、ずっと共に暮らしてきていました。それが今になって、なぜ。

 

ふわふわといい加減な人生を送っていたけれど、付き合いのあった女性を大切に、そして家族を大切にしていた様子の父親。気まぐれに与えられた愛情は、必ずしも相手が望んだ形ではなかったようです。そうした望まぬ環境の蓄積が彼ら家族を歪ませていったのではないでしょうか。それにしても最後までこの一家には現実感というものが欠如しています。もっともしっかりとした現実感を持った人間は、案外死んだ父親だったのかもしれません。

 

しかし母親が父親を殺害し、全てを手に入れることのできなかった男の全てをこの手に入れた瞬間、はっきりとこの男とつながっていることを認識できたのかもしれません。人と人は相手の一部分のみを見て、そこを愛したり愛されているものなのかもしれない、見えない部分は互いにたくさん持ったままなのかもしれないと思う物語です。

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