ぬこのイラストブックれびゅう

ぬこのイラストブックれびゅう

雑読猫、ぬこによるイラストブックレビュー。本との出合いにお役に立てれば幸いです。

その世界につながる「穴」はあらゆる場所にある

夜行』の

イラストブックレビューです。

 

十年前、同じ英会話スクールに通う六人の仲間で鞍馬の火祭りに出かけた夜に、
長谷川さんは姿を消した。十年ぶりに仲間で集まり、火祭りに行くことになった夜、
それそれが旅先で出会った不思議な出来事を語る。そして全員が道中で同じ銅版画家の
描いた「夜行」という連作絵画を目にしていた。

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様子がおかしくなり、家を出て行った妻に会いに出かけた尾道での出来事、先輩カップルと彼女の妹、自分の4人で出かけたドライブ中、困っていた中年女性を乗せたことで不協和音が起こった奥飛騨、夫と夫の友人と三人で夜行列車で訪れた津軽で見かけた懐かしい友人、ボックス席で同席となった女子高生と胡散臭い坊主との会話が印象に残る天竜峡。全てに共通するのは、今は故人である岸田道生という銅版画家が描いた「夜行」という連作絵画を見ていることです。

絵画は、黒をベースとした墨のような夜の闇に、それぞれの土地の風景、そして画面の中には顔がなく白く描かれた女性が手を振っています。訪れた彼らが見るその女性に顔は、見る者によって変わるようです。ある者は自分の妻に、またはいなくなってしまった長谷川さんに。それぞれの話は「えっ!?」というような結末で含みを持たせており、読む者にその先を委ねられます。

メンバーが話を終え、火祭りに行った帰りに皆と離れ離れになってしまった僕は、他の
メンバーに電話をしますが、相手の様子がおかしいのです。自分が迷い込んでしまった
この世界は、どうやら自分が今までいたところと同じようでいて実は全く異なる場所の
ようで…。

旅は、いつもと違うところへ自分を連れて行きます。高揚感や緊張など、ふだんと異なる心境で見る景色は、自分の中に眠っていた記憶や感情を呼び起こし、別の世界への扉を開いてしまうことがあるのかもしれません。

夜に生き、夜の世界を書き通した画家の絵画は、そうした別の世界との連絡通路になっているようです。夜の闇は不安とともに人を惹きつけてやまない強い魅力があり、その強い闇の反対側にはあらゆるものを照らす曙光が存在しています。闇と光、表と裏。それはちょっとした瞬間で入れ替わり、今存在している世界とは全く違った逆の世界にふとしたきっかけで迷い込んでしまう可能性があるのではないでしょうか。旅先で、急激に訪れる景色の変化に対しても、自分がいたところと違った世界に来てしまったような感覚を覚えるのは、そんなことを頭の片隅に思い浮かべるからなのかもしれません。

怪談のようでありながらどこか懐かしく、そして美しい情景を描いた物語は、夜が明ける前の心細さ、旅先での不安を連想させ、それでいて、それらは光差すどこかへ必ず繋がっているのだという希望も感じさせてくれるのです。

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言葉の持つ「力」の強さに打ちのめされる物語

何もかも憂鬱な夜に 』の

イラストブックレビューです。

 

施設で育ち、拘置所の刑務官を務める「僕」は、ある夫婦を刺殺した二十歳の未決囚、
山井を担当している。山井とのやりとりの中で、どこか自分と似たところがあると感じる「僕」は、自殺した友人や恩師とのやりとりに思いを馳せる。犯罪と死刑制度、そして希望と真摯に向き合った物語。

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控訴せずに黙り続ける山井を気にかけてやれ、と上司に言われた「僕」は、山井の目に
過去の自分を見つけ、苛立ちを感じます。そして山井に「死にたければ、死ねばいい」と言葉をかけ、翌日、山井は自殺を図ったのでした。

山井の目は、施設で育った子供の頃、死のうとした「僕」と同じものでした。
少年の頃、飛び降りようとした「僕」を止め、本や音楽など、いろいろなことを教えて
くれた人との絆が、当時死へと向かう心をこちら側へと呼び戻してくれたのです。

そして、思春期には友人が自殺します。友人が残したノートには、彼の思いが綴られて
おり、「僕」のせいで友人は死んだのだと感じています。刑務官という仕事を選んだのは、自分が友人を死に追い込んだ事に対する贖罪の意味もあるかもしれません。

刑務官の仕事はハードで、「僕」は精神的に疲弊します。態度の良い服役囚のために
違反を見逃したところ、出所して間も無く犯罪を犯したり。その服役囚は、「僕」を
狙ってそのような態度を取っていたことがわかり、怒りと絶望でいっぱいなります。

罪を犯した者と似たような経験をした者。「僕」と山井はそんな関係です。直接的に
手を下した山井、間接的に友人を死に追いやった「僕」。そこには家族というものを
知らずに育った空疎な部分から生まれてしまった事態だったのかもしれません。そこに
足りないのはほんのすこしの想像力。人はどうしたら死ぬか、そして死んだ後、殺され
た人の周囲と自分はどうなるのか。

そうした想像力は、私たちはごく自然に身につけているようですが、教わる機会が
なければ理解できないものなのかもしれません。「僕」は恩師から与えてもらった
ことを山井に教えようと考えます。それは恩師が言った

「自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力を
した方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない」

ということです。
生きる世界は苦しく、狭く感じられるけれど、物語の世界に合わせれば自分を広げていくことができる。枠を広げていけば、生きることが少しだけ楽になるはず。
人を殺した人間でも、自分の枠をほんの少し広げてやれることができたら。

友人の手記によって打ちのめされたのも「言葉」ですが、恩師から受け取った希望もまた「言葉」でした。「言葉」には力があるのです。その力で、「死」への想像力を持たない者に、その意味を染み込ませることができるかもしれません。

人を殺した人間もまた、これまでの時を生きてきた存在であること。その犯罪者を、仕事として死に至らしめる刑務官の葛藤。感情だけで死刑と騒ぐ世間や曖昧な判断で下される刑罰。罪に関わる者たちが闇の中をもがきながら進んでいく中で、一筋の、細い希望という名の光を見つけた。そんな風に感じる物語です。

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いつの間にか体も心も太っていませんか?

牛姫の嫁入り』の

イラストブックレビューです。

 

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江戸時代中期。派遣忍者業を営んでいる女忍びのコウは、旗本の加納家からある依頼を
受ける。それは下妻藩主・藤代家の末娘、重姫と加納家息子を引き合わせる「誘拐見合い」だった。重姫をさらうべく屋敷へ忍び込んだコウと相棒の守市が目にしたものとは。

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美少女と評判の高かった重姫。ところが、いつからか人前に現れなくなりました。娘可愛さに、藩主が城の奥から姫を出さないのだという噂ですが…。一方、家が衰退の一途を辿り、連日遊びまくる息子に頭を抱える旗本、加納光政は、加納家存続のために噂の重姫と息子を誘拐見合いさせることを思いつき、派遣忍者の女忍びコウと、ちょっと抜けてる相棒守市のコンビに依頼します。

藩主屋敷に忍び込んだ忍びの2人が見たものは…。
牛のようにまるまると太った重姫でした。
誘拐に失敗してしまい、捕らえられたコウは藩主に取引を持ちかけます。期限内に重姫を痩せさせる。達成したら解放してほしいと。藩主の了解のもと、重姫のダイエット大作戦がはじまります。

鶏を捕らえる、掃除、洗濯…。反抗することなく素直にコウの指示に従う重姫。
コウとのやりとりの中で、重姫がなぜ今のような体型になったのかが次第に明らかになっていきます。お菓子を食べると父上が笑顔になるから…なんて、父親への慕情に思わずホロリとしてしまいます。根は素直で優しい重姫なんです。

体を動かすことで、お腹が空き、口に入れるものの味わいがよくわかるようになっていった重姫。そこにあるからといって、ひたすら食べ物を口に入れていた頃は味すらも感じなかったとか。幼い頃に母を亡くし、醜く太った自分になってから目を向けなくなった父。そんな寂しい気持ちを、お菓子で埋めていたのです。満たされない気持ちを食べ物で、という心理は現代人にも通じるところがありますね。

体はだいぶ動くようになったものの、期日までに痩せるのはやはり無理なのか?と読者がやきもきし始めたころ、お忍びで町へでかけた重姫とコウにある出会いがあります。それはなんと、誘拐見合いをしようとしていた加納家の息子だったのです。痩せる前に出会ったふたり、果たしてどうなることやら…。

忍びのコウは両親も身寄りもなく、また忍びである以上仕事の邪魔になるため家族を持つことは禁じられています。仕事に厳しく、自分に厳しいコウですが、重姫がもとから持つ素直な心、そして痩せていくごとに輝いていくような魂の美しさに、情が移っていく場面も。互いが持つ孤独や寂しさという部分が呼応したのかもしれません。

食べ過ぎによってついてしまった脂肪は体だけではなく、心すらも覆ってしまうよう
です。体を動かしてお腹空かせること。必要なものだけを、感謝して味わうこと。心が
感じることを素直に味わうこと。そんなシンプルなことを心がけていれば、美しさというものは自然と身体から発せられるのでないでしょうか。そんなことを教えてくれる物語です。

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凶悪な犯罪を犯した者の居場所と社会のあり方

白い衝動』の

イラストブックレビューです。

 

中高一貫校スクールカウンセラーをしている奥貫千早のもとに、高校一年の野津秋成が訪れた。学校で飼っている山羊を傷つけたこと、そして自分には殺人衝動があることを千早に打ち明ける。一方、過去に起こった凶悪な連続暴行事件の犯人が刑期を終え、この街に住んでいるという。胸騒ぎを覚える千早だが。

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大人しそうな見た目で、頭の回転は早い。理論が飛躍することはあるが冷静であり、殺人衝動は、思春期特有の不安定によるもの。千早は秋成をそのように分析し、彼が学校の山羊を傷つけたという一件は、学校に報告を入れた上で、家族には伝えるものの学校内では公にはせず、秋成の動向を見守っていくということで解決したかのように見えました。

一方、過去に女子校生を狙い後をつけ、怪我を負わせ両親の目の前で暴行するという事件を五件犯した犯罪者が、出所後この街に住んでいるという噂が流れます。公園で金属バットを打ち付けて音を鳴らしている男がその男なのではないかというのです。

この事件の被害者の会の代表が、ラジオパーソナリティーである千早の夫のラジオ番組に登場します。そして、あろうことか、この代表は犯人の実名とともに詳細な住所まで番組中に公表するのです。 そんな中、秋成の母親から彼が自宅に戻らないという連絡を受けます。もしやと思い、犯人の自宅へと駆けつける千早ですが。

多くの人に理解できないような残忍な事件を起こした者が自分の住む場所の近くにいると
いうこと。刑期を終えているのだから、社会が受け入れて行かなくては彼らの行き場が
なくなってしまう。だから彼らを受け入れるべき。千早は大学でそうしたことを研究していましたが、その研究から離れ、結婚して、スクールカウンセラーとしての道を選びます。

千早の夫はラジオパーソナリティーをしていますが、千早のかつて研究していた内容を理解したうえで、彼女との会話の中では、刑期を終えたとはいえ犯罪を犯したことのあるものが近くに住むのは、不快であり不安でもある、とハッキリと発言しています。今回、住所がラジオで流れてしまったことで会社から処分を受け、追い込まれた精神状態となっています。

犯罪を犯した者、これから犯罪を犯す可能性がある者。
そうした者たちを社会が受け入れ、見守って行かなくてはならない。
理屈では理解できても、感情としては納得できるものではありません。実際に身近にもと犯罪者がいたとしたら… 穏やかな気持ちではいられないですし、積極的に関わろうとも思いません。もしかしたらまた、という不安を拭い去るだけのものをどうやって獲得すればいいのだ、という話です。本人から「反省している」という言質を取ったところでその保証はあるのか?過去にあんなことをしているのに?となるのです。

学者とはいえ、そんな多くの人に理解されない人間を受け入れたい、と願う千早はどんな人間なのでしょうか。彼女が研究をしていた頃、中学生の頃、そして幼少期の頃と遡っていくにつれ、そうした考えに至る経過が明らかになっていくのです。

犯罪者の中に生まれる、その者なりの反省や感情。未だ犯罪は犯していないが、いずれ自分を抑えられない時が来るという不安と諦めを抱える少年。犯罪を犯していないのに犯罪者扱いされてしまう心理的苦痛。三者の葛藤や苦しみを立体的に描き、これから起こるかもしれない展開に終始心臓がドキドキします。

罪を犯す者に対して手を差し伸べる者。それは社会的に需要のある存在ではありますが、それはどんな理由で手を差し伸べているのでしょう。手を差し伸べない者たちは、そして被害を受けた者たちはどのように彼らと接するべきなのでしょうか。実際にその立場に立ったところで決して答えは出るものではない。でも、それぞれが考えて、その場所で生きているのだ。そのことを意識し続ける必要があるのではないか。そんなことを感じた物語です。

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おいしいスープのようにじんわりしみこんでいく物語

それからはスープのことばかり考えて暮らした』の

イラストブックレビューです。

 

よくいく映画館の隣町で、窓を開けると教会が見えるアパートへ引っ越してきた大里ことオーリィ。古い映画に出演する女優に恋をして、気に入ったサンドイッチ店に通い続ける。そんなオーリィにサンドイッチ店の店長が「うちの店で働かないか」と持ちかけてきて…。

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主人公は、次の就職先も考えず、会社をやめ、プラプラしている若い青年、オーリィ。
大家さんに心配されたり、自分自身でも仕事を見つけないとなあと考えながらも
映画館に通ってしまう日々。それは古い映画に出演する、ちょい役の女優を見るためで…。

独身、性格は穏やか、これといって目立った特徴もないオーリィは、ふわふわと日常を
過ごしています。お気に入りのサンドイッチ店に毎日通っていたら、店長からスカウト
されます。店で働きはじめ、やがてスープ作りを担当することになります。

映画館で見かける、綺麗なおばあさん。快活な大家さん。映画館にいる犬。
どれも柔らかな輪郭を描いて暖かく、湯気をまとっているかのような世界観です。
ぼんやりとした青年の印象だったオーリィも、周囲の人々と関わり、その人なりの
背景が少しずつ見えてくることで、なぜだか彼の印象もくっきりとしてきます。

おいしいスープは、様々な食材の旨味が複雑に絡み合って生まれてくるものです。
オーリィの作るスープは、何か1つの主役である食材がこれと言えない、言い方を
変えれば脇役全員が主役であるとも言えるものです。どんな食材が入っているかわかり、それぞれが引き立てあってなんともいえない優しいおいしさなのだとか。
そのスープを口にした人は、誰もが何かを思い出し、語りはじめます。

そんな心の扉を開くようなスープ、ぜひ味わってみたいものですね。人と人との関係も
優しさや思いやりが絶妙な素材に、感情が爆発してしまうことも時にはスパイスとなって、旨味が増し、深い味わいになっていくのかもしれません。街と人、ほんのささやかな日常と出来事が、暖かいスープを飲んだ後のような、指先まで暖かさがじんわりと染み込んでくるような、読後感の良い物語です。

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極限状況における神とは、祈りとは何なのか

『弥勒』

イラストブックレビューです。

 

 

弥勒 (集英社文庫)

弥勒 (集英社文庫)

 

 

新聞社で展覧会を企画・運営する仕事をしている永岡は、妻の髪飾りが、ヒマラヤの国
パスキムの破壊された仏像の一部だと気づく。美術品持ち出し禁止の国で政変があった
ことを知り、密入国を試みた永岡が目にしたものは、虐殺された僧侶たちと壊滅された
都市だった。そして永岡も革命軍に捕らえられ…。

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ヒマラヤの奥地にあり、インドや中国などとの国境も近いことと、険しい山の奥地であることから独自の文化を発展させてきたパスキム。美しい細工を施された仏像などの美術品は持ち出しが禁止となっています。しかし、その一部が妻の髪飾りに使われていることに気付きます。

パスキムで政変があったことを知り、密入国を試みた永岡が見たものは僧侶の死体の山や破壊された美術品たちでした。お堂に閉じ込められていた絶命寸前の尼僧から、ラクパ・ゲルツィンによるクーデターが起こり、僧侶が皆殺しにあったことを知ります。永岡は寺院にあった弥勒像を奪い、逃げますが革命軍に捕まってしまいます。

連れていかれたキャンプでは、日中は強制労働を行い、食事の後は「教育」が施されます。かつてパスキムの王に仕えていた秘書官だったラクパ・ゲルツィンは、パスキムの中でも豊かな地域と貧しい地域の差が激しく、そのことを憂い、皆が同じように平等に生きていける世界を築こうとしていたのでした。

人に名前はいらない。体力に応じて仕事をこなす。
神は存在しない。迷信なども嘘である。

民主主義の対極とも言える、極端な方針でキャンプを運営していきます。個人の存在も
否定され、貧しい食事と厳しい環境に抵抗を覚えていた永岡ですが、やがて自らが耕した地に蕎麦の実がなり、わずかながらの作物が収穫できるようになったり、周囲の者たちとコミュニケーションが取れるようになってくると、少しずつ気持ちに変化が生まれてきます。そして、強制的にあてがわれた女と夫婦になりますが、彼女と会話を交わし、体を重ねていくうちに、彼女のことが大切な存在となっていったのです。

文明は人を怠惰にし、狂わせる。
こうした考えを持ち、同時に統一した考えや行動の邪魔になるとして神仏の存在も否定してきたゲルツェンですが、民衆たちをどんなに育しても、死者を悼む気持ちや霊的存在、神の存在を人々の中から消し去ることができません。そして彼が排除した『文明』は近代医療の薬品等も含まれるために、病気やけがなどで多くの命が失われていきます。そして、死を迎え見守る際にはどの人間も同じように神に祈るのです。

神とは人間にとっての、目に見えない土台のようなものなのかもしれません。
祈ることによりその形が明らかになり、同様に自分の姿がも見えてくる。死の淵に立ち、神と向き合うことは、ふだん意識することのない自分自身と向き合い、対話することなのではないでしょうか。

ハイスピードで進められた改革は歪みを生み、叛逆を企てたものたちが処刑されたり、
厳しい作業環境や伝染病が蔓延する中で、何度も永岡は死の淵に立ちます。日本においては神の存在など気にもしなかった永岡ですが、パスキムを脱出し、弥勒像を奪い返した後、その存在は彼自身の奥深くを呼応させるように響いてくるのです。生きているのが不思議な状況の中では、神によって生かされているとしか思えません。

神とは、祈りとは、豊かさとは、命とは。
それまで持っていたあらゆる価値観を粉々に打ち砕かれ、再構築されていく。そんな風に感じる物語です。

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この本を、読んではいけない。

女學生奇譚 』の

イラストブックレビューです。

 

奇妙なメモが挟まれた古書が、オカルト雑誌の編集部に持ち込まれた。
そのメモには「この本を読んではいけない「」と書いてある。フリーライターの八坂駿は、カメラマンの篠宮、本の持ち主である兄が行方不明だという竹里あやめとともに古書の謎を追う。

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古書の内容は、戦前の女学生、佐也子による手記。数名の少女らとともに立派な洋館の
一室に閉じ込められています。不定期にメンバーが呼び出され、呼び出された者は二度と帰ってきません。果たして、呼び出された少女はどうなったのでしょうか。

創作なのか、事実なのか、八坂は様々な角度からアプローチをかけ、調査していきます。ともにこに謎に挑むのは、八坂の相棒でカメラマン、細身で高身長、性格も男勝りだがオカルトには弱い女性の篠宮。この本を編集部に持ち込んだあやめ。意固地な態度で、今ひとつ八坂たちに心を開かないあやめですが、共に行動するうちに、少しずつその態度に変化が現れます。

手記は幽閉されてから数日ごとの様子を記しています。会話をしたり、読書をしたり
して静かに過ごしていること。そして、戦前の時代とは思えぬほど、豪華な料理を
出され、その味に夢中になっていること。女学生たちとの間に芽生える嫉妬や友情。
人名や場所などが明記される表現は慎重に避けて記録されています。しかし、時が
経つにつれ、佐也子の言動は支離滅裂となり、精神状態が不安定になっていくのが
文章から見て取れます。いったい彼女たちに何が起こったのか。そして驚愕の結末は。

戦前でありながらしっかりと教育を受けた良家の子女たちが、幽閉される謎。
都市伝説を作り出す謎の人物たち。そして、オカルトな情報を追い続ける八坂が
持つ秘密。あらゆる要素が、不穏な空気をまとい、読者を妖しく誘います。
1つずつ明らかになり、そしてまた新たに生まれる問題。どこへ導かれるのかと
ドキドキしながら辿りつくのは衝撃のラスト。

江戸川乱歩横溝正史のような、重厚感があり、あらゆるところに見事な仕掛けが
施され、ページをめくる手が止まりません。恐怖を様々な角度から描く、読みがい
のある物語です。

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